1月28日年間第4主日
黙想のヒント

「権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」(マルコ1:27)

 イエスの時代、病気は悪霊の仕業と考えられていました。しかし病気と死は人間であることの条件であり、それは倫理的な悪ではありません。しかし心の持ち方は体に大きな影響を与えます。このことはイエス以前から語られていました。旧約聖書の箴言は「喜びを抱く心は体を養うが、霊が沈みこんでいると骨まで枯れる」(17:22)と述べ、古代ギリシアの哲学者エピクテトスは「人が不安になるのは、出来事そのものではなく、それに対する解釈によってである」と語っています。

 人生は自ら体験し、また人から聞いたことを回想しながら築かれています。しかし記憶から失われるものもあり、また細かい記憶は時間と共に曖昧なものになることもあります。実は思い出すという行為は、記憶の内容を書き換えてしまうのだという研究結果もあります。特に悪いことを思い出すとき、最悪の場合「思い込みという牢獄」の中で記憶が捏造されていることもあるのです。その捏造された記憶が、まるで「汚れた霊」のように怒りを引き起こしてストレスとなり、それは頭痛、肩こりを発症させ、やがて胃腸病にまで至るケースもあるのです。自分のことを気にしているのは実は自分だけであり、結局自分で自分の体を悪くしているのかも知れません。

 その「思い込みと言う牢獄」から解放される一つの道は、良い記憶を思い出すということです。以前NHKの「ためしてガッテン」という番組で、毎日楽しかったこと、嬉しかったことを日記(ハッピーノート)に3つ書き留めるという実験が1週間行われました。その実験参加者に、実験前と実験後の自分を比べたところ、皆毎日こんなにいいことがあったのかと驚き、それから人生を前向きに考えられるようになったということです。彼らはわずか1週間で人生を劇的に変化させたのです。それは決して複雑な方法ではなく、ノートとペンだけでできたのです。人生楽しいことだけ覚えていればそれでいいのです。感謝の心をはぐくむと、ふだんの生活の中で「持っていないもの」ではなく「持っているもの」に意識が向くようになり、自分が受けている恩恵にますます気づくことができるのです。

 アメリカの思想家カーネギーは、怒りに関して元大統領リンカーンの対処法に学びました。リンカーンのモットーは「人を裁くな」でした。彼は怒りに駆られることはあっても、それを直接人にぶつけることはありませんでした。彼は人を非難したい衝動に駆られたらそれを手紙に書きました。そしてそれを2・3日そのままにしておけば、結局その手紙を出すことはなく、怒りは自然と消えるというのがリンカーンに学んだカーネギーの対処法でした。この教訓はメールにもあてはめることができます。メールを出すときは心がポジティブなときだけにしましょう。心が怒りでなどでネガティブなときにメールを送ると、結果的に思わぬ間違いをしてしまうものです。このことは多くの人が経験しています。「汚れた霊」に隙を与えないようにしましょう。 

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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