「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(1コリント10:31)
皆さんは「神の栄光」という言葉に対して、どんなイメージをお持ちですか。おそらく人間が賛美と称賛の声をあげながら、神様を礼拝している光景を連想する方も多いことでしょう。そのイメージも正しいでしょう。しかし神学者の聖イレネウスは、生きている人間こそが神の栄光であると言いました。つまり全知全能である神は、人間から誉も称賛も何も必要とはしない。神の栄光は、神が人間から何か受けることにあるのではなく、神が人間に与えることにある。だから、神から知恵や優しさ、勇気と力、そして命を受けて生きている人間の一人一人が神の栄光であるのです。だから「人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、全ての点で全ての人を喜ばそうとしている」(1コリント10:33)ことが神の栄光のためなのです。人が共にいることは、お互いのためにいることだからです。
ところで、企業は利益追求にのみ走っているという人もいますが、それは正しくはありません。利益の追求は、まず社員や従業員の生活を保障するためであるからです。しかしその利益追求は、単にむさぼるだけであってはならず、人の道を外れたものであってはなく、常に人のためでなければならないというのが、昔から優れた経営者のやり方でした。
日本に資本主義を導入し、今年7月から1万円札に登場する、明治の指導者渋沢栄一は、「仁義を根本にして商工業を営めば、あえて争うがごとき事をせずとも、利はみずから懐に入ってくるものである」と言いました。仁義は儒教道徳の根本理念で、「仁」は他人を思いやり慈しむ心、義は人として守り行うべき正しい道のことです。渋沢栄一は、お客を思いやり、正しい商道を行うという「仁義」を経営の根幹に据えれば、結果として利益は上がると考えたのです。
経営の神様と言われた松下幸之助の経営方針は、有名な「水道哲学」でした。彼は起業当初から、電球のソケット、自転車のランプ、アイロンなど、日本人の生活に密着した製品を作り続けました。そして、そのような製品を大量に、まるで水道水のように供給し、人々が容易にそれを手に入れられる社会を目指して、会社の規模拡大や、世界一の製品作りを目指すことはありませんでした。
京セラの創業者稲盛和夫は深く仏教に帰依した人で、人から経営の秘訣を尋ねられると、いつも答えは「感謝の心を忘れるな、嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、常に利他の心を忘れるな」など。しかしこれを聞いた人は、皆一様に怪訝そうな顔をするのです。「そんな単純なことで経営が成り立つのか。こんなことは、子どもの頃から親や先生から聞いてきた」と。しかし誰でも知っているこの「単純な原理原則」が実践されていないから、一時的に利益を上げても、やがて破綻する会社が多いのだとして、彼は自分の信念を生涯貫きました。
今日のお話しは「神の栄光」と会社経営の関係でした…。
(寄稿 赤波江 豊 神父)