2月18日四旬節第1主日
黙想のヒント

「”霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」(マルコ1:12~13)

 ”霊”とは聖霊のことで、その聖霊がイエスを荒れ野と言う試練の場に送りました。聖霊は必ずしも私たちを居心地のいい安全な場所に連れて行くわけではなく、場合によったら私たちが望まない、行きたくない所に導くこともあります。私たちもまた、聖霊によって人生の試練の場に送られています。しかしその同じ聖霊が、試練の中にも幸せへのチャンスを与えてくれることに気づくことが大切です。神は人間から何か奪ったら、必ずそれと同等、あるいはそれ以上のものを与えてくれますから。

 人間は幸福よりも不幸を過大にとらえがちです。人生は幸福であると感じるより、不幸であると思うときの方が多いのではないでしょうか。だいたい人間は不幸であると感じる時は、1を10のように思い、幸せなときはそれを当たり前のように感じ、10を1くらいにしか思わないのです。しかし人生には不幸の数と同じくらい、あるいはそれ以上に幸福が蒔かれています。それを上手に拾っていくことが大切です。全ては心の問題です。

 イギリスの詩人ミルトンは、代表作『失楽園』で「心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ。地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ」と言いました。人間関係や仕事でそれを地獄のように感じたとしても、心の持ち方次第でそれを前向きに乗り越えることができます。

 山は西からでも東からでも登ることができます。自分が見方を変えれば、新しい道はいくらでも開けます。また上り坂と下り坂は同じ一つの坂なのです。その坂も見る角度によって、「上り」に見えたり、「下り」に見えたりするのです。人生の山道も同じです。

 来月くらいから桜が咲き始めます。私は桜の季節に見た、あの息を飲むような富士山の美しさに圧倒されたことがあります。富士山は世界に誇る日本の山です。富士山の姿はいつも同じなのですが、ある人は晴れた日の姿がいいと言い、ある人は雲に覆われた姿がいいと言い、また暁や夕焼けの姿がいいとも言います。

 山岡鉄舟は幕臣でありながら明治天皇に仕えました。そのため陰口をたたかれたり、ちやほやされたり、友人と敵対したりしました。しかし周囲の対応が変わっても、同じ自分でいることの大切さを次のように表現しています。「人生は心一つの置き所 晴れてよし 曇りてよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」

 また19世紀のイギリスの政治家ディズレーリは「時は偉大な医者である」という言葉を残しています。人間には身体的に自然治癒能力が備わっています。それは心も同じで、怒りや不安などの負の感情も時の経過とともに消えていくことがあります。「全ては時が解決する」と考えることで気持ちも楽になるのではないでしょうか。  

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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