4月7日復活節第2主日(神のいつくしみの主日)
黙想のヒント

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)

 トマスはどんな性格の人だったのでしょうか。おそらく頑固な人だったのでしょう。復活したイエスが弟子たちに現れたとき、たまたまトマスだけその場に居合わせませんでした。それで他の弟子たちが「私たちは主を見た」と言ったとき、どうして自分がいないときに限ってイエスは現れたのか、自分はのけ者にされたのかと思って頑固になり、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、またこの手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じないと」言い張りました。それから8日後、そのトマス一人のためにイエスはわざわざ現れてくださり、「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。またあなたの手を伸ばして私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と諭されました。

 確かにトマスはイエスを信じなかった。彼は不信仰でした。しかし他の者を信じていたと言えます。それは仲間の弟子たちです。もしトマスがイエスの最初の出現のとき、自分がいないときに限ってイエスが現れたことに腹を立て、自分はのけ者にされたと思い、仲間から去って行ったら、イエスとの出会いもなかったでしょう。彼が腹を立てたとしても、彼は仲間から離れなかった。これがイエスとの出会いを可能にしたのです。

 私たちも同じように、信仰の弱さから神を信じなくなるときもあるでしょう。そのようなときでも、大事なのは教会の仲間から離れないということです。教会の仲間とつながっていることによって、イエスとの再会も可能になるのです。

 仲間とのつながりを可能にするのは信頼の絆です。聖書も友について興味深い記述をしています。(シラ書6:5~17参照)中国の古典『菜根譚』(さいこんたん)は友について次のように述べています。「親しむべきでない友とは、貪欲な人、言葉の巧みな人、へつらう人、浪費する人である。親しむべき友とは、本当に助けになる人、苦楽をともにする人、忠告を惜しまない人、同情心の深い人である。不真面目にならないよう忠告を与え、陰にまわって心配をし、災難にあったときには慰め、必要なときには助力を惜しまず、秘密をあばかず、常に正しい方へ導いてくれる人は、親しみをもって心から付き合うべき友である。このような友を得ることは容易ではないが、自分もこのような友になるよう心がけねばならない」

 私はこの『菜根譚』にもう一つの言葉を付け加えたいと思います。それは「親しむべき友とは、何事も感謝と笑顔を忘れない人」です。感謝と笑顔は切り離せないものであり、笑顔が無くなったら、感謝も忘れつつある証拠です。

 昔アメリカで『クリスマスの笑顔』という広告文がありました。「元手が要らない。しかも利益は莫大。与えても減らず、与えられた者は豊かになる。一瞬間見せればその記憶は永久に続く。

 どんな金持ちもこれなしでは暮らせない。どんな貧しい人でもこれによって豊かになる。家庭に幸福を、商売に善意をもたらす。友情の合言葉。

 疲れた者にとっては休養、失意の者にとっては光明、悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。

 買うことも、強要することも、借りることも、盗むこともできない。無償で与えて初めて値打ちが出る。

 クリスマスセールで疲れ切った店員のうちに、これをお見せしない者がございました節は、恐れ入りますが、お客様の分をお見せ願いたいと存じます。笑顔を使い切った人間ほど、笑顔を必要とする者はございません」

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

トップページ | 全ニュース