4月14日復活節第3主日
黙想のヒント

「兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています」(使徒言行録3:17)

 ここでペトロが言う「兄弟たち」とは、イスラエルの人々のことであり、「あんなこと」とは、イエスが十字架につけられたことです。しかしペトロが語りかけた「兄弟たち」の中に、自分自身も含まれていたことを彼は知っていたはずです。ペトロもまた無知の故に、あの受難の夜イエスを見捨て、彼もまたイエスの手足に釘を打った者の一人だったのでした。そのペトロたちに復活したイエス自ら現れ、弟子たちの背信行為を一切とがめることなく、ただ「あなたがたに平和があるように」(ルカ24:36)言い、彼らの罪深い過去には一切触れませんでした。この出来事と、後の聖霊降臨によって弟子たちの人間性は180度変わり、今日の使徒言行録のように、ペトロは力強く説教したのでした。

 だからと言って、それ以後ペトロの弱さ、欠点が克服された訳ではありませんでした。ペトロはかつて何度も、自分の弱さや欠点を嘆いたことでしょう。しかしそんな自分が、まさか人々の前で大胆に説教するとは思ってもみなかったことでしょう。「人間にとって最大の発見、最大の驚きは、自分には無理だと思っていたことが、実はできると気づくことだ」(ヘンリー・フォード)そのペトロは次第に、自分の中に何か偉大な力が与えられていうことに気づき、福音宣教を通して彼自身の人生ゲームに挑んだのです。それは偉大な力を最大限に生かす人生ゲームです。しかしその人生ゲームのスタートは「自分の強さは、自分の弱さを受け入れることから始まる」ということでした。強くなろうとして、強い人の真似をしてはならないのです。自分の最も弱く醜いところ、そこに神はおられるからです。

 「自分の弱さをしっかり見つめて、その姿を十分に知っておきましょう。でも弱さに支配されてはいけません。弱さから忍耐力と、優しい心と、物事を見通す力を学びましょう」(ヘレン・ケラー)このようにしてペトロは、イエスが人々から誹謗中傷されたように、自分も誹謗中傷されてもかまわないという心の余裕を、自分の弱さから学んだのでしょう。「誹謗中傷に対する最大の返答は、黙って仕事に精を出すことである」(ジョージ・ワシントン)

 人生は学校であり、出来事は全てすべて実験です。人間の成長のため、実験の数は多ければ多い方がよいのです。失敗したら、またやり直しましょう。かつて弱かったヤクルトを何度もリーグ優勝や日本一に導いた野村克也監督は、「失敗と書いてせいちょう(成長)と読む」と言いました。「私は決して失望などしない。どんな失敗であろうと、それは新たな第一歩となるからだ」(トーマス・エジソン)

 ペトロは人生ゲームのゴールに近づいたとき、自分はまだまだキリストに到達していない。自分にはまだしなければならないことがあると、永遠に成長し続けることを望んだ「偉大なる未完成」の死だったことでしょう。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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