4月21日復活節第4主日
黙想のヒント

「私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている」(ヨハネ10:14)

 羊は弱い動物ですが、唯一の強みは羊飼いの「声を聞き分ける」(ヨハネ10:16)ということです。それでも羊飼いの声を聞き洩らして、迷ってしまう羊もいます。人間も内心の声を聞き分けながら、決断し行動します。正しく決断することは大切ですが、その決断が間違ってしまうこともしばしばです。だから「人間は努力する限り迷うものだ」(ゲーテの戯曲『ファウスト』)その結果生じるのが後悔です。「もしあの時、あんな決断をしなければよかった」とか、「もしあの時あんなことを言わなければ、こんな結果にならなかったのに」というような思いに襲われることがあります。しかし人生は二者択一の連続です。大事なことは、自分が選択したことの結果の中に神のみ旨を見出し、それをしっかり果たすことです。

 しかし中にはいつまでも過去を悔やみ続け、恨み節で生きている人がいます。「過ぎて帰らぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ」(シェークスピアの悲劇『オセロー』)。つまり過去の不幸を悔やみ続けると、さらなる不幸を呼び込むことになるのです。AかBかで選択に悩み、結果的にAを選択すれば、Bという人生は存在しないことになり、それをいつまでも悔やみ続けるのは、あり得ない世界を夢見ているに過ぎないのです。それでもBを諦めきれないのであれば再挑戦しましょう。

 順風な時も出会い、逆境の時も出会いです。「全ての真の生とは、出会いである」(マルティン・ブーバー)。私たちの人生は川の流れのように、その時その時の出会いによって変化していきます。ですからその変化を受け入れ、川の流れに身を任せて生きることも大事かと思われます。なぜなら人間の力では、その時その時の流れを変えることは難しいからです。

 「人の一生には、炎の時と灰の時がある」(シェークスピア)。つまり人生には燃え盛る炎のように、勢いづいて何をやってもうまくいく時と、反対にものを燃やす火種も消え、何一つうまくいかない時があります。そのような時は運命にあらがわず、じっと自己に沈着し時が再び巡ってくるのを待つことも必要です。「嵐の中でも時は経つ」(シェークスピア)のですから、嵐の中でもそれなりに人生を味わうことが必要です。

 例えば凧揚げをしようと必死になっても、その場に風が吹いてくれなければ、凧は上がりません。反対にその場にいい風が吹いてくれれば、こちらが必死にならなくても凧はスイスイと上がります。ただし風はいつ吹いてくるかは分かりません。同じように人生の追い風もいつ吹いてくるかは分かりません。しかしその追い風が吹いてきたら、直ちに全力で走れるように平素から準備をしておくことが必要です。それは羊のように、絶えず飼い主の声に耳を傾けることによってのみ可能です。チャンスは自分で作り出すものだからです。

 最期にもう一度言います。「過ぎて帰らぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ」

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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