「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」「ヨハネ15:13」
神と人間の関係を次のように表すことができます。人間は一人一人神と見えない糸で結ばれています。しかしながら人間は罪によって自らその糸を断ち切ってしまいますが、神はその糸をつなぎ直して、そこには結び目ができます。そのとき糸は少し短くなり、神と人間の距離は縮まります。そして人間が罪を重ねて糸を断ち切る度ごとに、神は糸をつなぎ直して結び目を作り続けるのです。このようにして神は人間を更にご自分の方に引き寄せてくださるのです。
私たちもお互い見えない糸(絆とも言います)で結ばれており、間違いを犯すことによってその糸は断ち切られますが、神がそれをつないで結び目を作る度にその糸は短くなり、お互いが更に過ちを繰り返しながら、同時にお互いは引きつけあうのです。このことは結婚生活に当てはまります。
「二人が睦まじくいるためには
愚かなほうがいい、立派すぎないほうがいい。
立派すぎることは長持ちしないことだと
気づいているほうがいい」(詩人吉野弘)
ここで言う「愚か」は相手の弱さ欠点を受け入れ、気に留めないことです。自分が欠点だらけであるのと同じように、相手も欠点だらけなのですから。「立派すぎる」ということは、相手に完璧さを求めることです。完璧さを求める背後には、常に失敗を恐れる不安が潜んでいるのです。不安は怒りへとつながります。
ある師曰く、「間違っても聖人とは結婚せんことだ。それこそ自分を殉教者に仕立て上げる最も確かな道だから。過度に信仰深い人たちは、生まれつき残酷さを求める傾きがあるものだ。そのような人たちはある目的を達成しようとするとき、いとも簡単に人を犠牲にするではないか」
だから「結婚前は二つの目をしっかり開いていなさい。しかし結婚してからは、片方の目をつぶりなさい」(ベンジャミン・フランクリン)「愛とはお互いを見つめあうことではない。二人が同じ方向を見ることだ」(サン・テグジュペリ)
実際自分の欠点によって守られ、救われなかった人はいないのです。私も昔、自分のある性格を欠点だと思い込んでいたら、「それがあなたのいいところですよ」と言ってくれた人がいました。金子みすゞの次の詩がその思いを更に強めてくれます。
「青いお空の底深く、海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、昼のお星は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」
(寄稿 赤波江 豊 神父)