5月19日聖霊降臨の主日
黙想のヒント

「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒言行録2:3)

 私たちは父なる神に、そして独り子イエスによく祈り、願いをささげます。しかし聖霊に対して祈ったり、何かを願ったりすることはあまりありません。だからと言って聖霊を軽んじているわけではありません。なぜなら聖霊は私たちが祈る相手というよりは、私たちを祈らせてくださるお方だからです。だから「聖霊来てください」(聖霊の続唱)と祈るのです。

 その聖霊は様々なイメージで語られます。その一つは風です。風は暑い時に涼しさをもたらし、また雲を運んで地上に恵みの雨を降らせます。風の大きな特徴は、突然やって来るということです。人間の体の中にも、息とか呼吸と呼ばれる小さな風が流れ続けています。そしてこの小さな風の流れが止まることは、死を意味します。

 次に聖霊は火のイメージで語られます。火は暗闇を照らし、寒いときに暖かさを与えてくれます。また火は鉄のような固いものさえも溶かします。そして火の特徴は、常に上に向かって燃えるということです。

 さらに聖霊は水のイメージで語られます。水は渇きをいやし、汚れを洗い流します。また空から降った雨は小川を作り、小川は大きな川に合流し、大きな川は海に注がれます。しかしそれで終わりではなく、海の水は太陽の熱で温められ、水蒸気となって雲を作り、その雲は再び雨となって地上に注がれます。

 このように聖霊は風のように突然私たちの心を訪れて爽やかさを与え、火のように暗い心を照らして暖め、頑なな心をも柔らかくします。火が常に上に向かって燃えるように、聖霊は私たちを常に上へと、即ちイエスを通して天の御父へと向かわせてくれます。聖霊は水のように心の渇きを癒して、汚れを清めます。また空から降った雨がやがて雲となり、再び雨として地上に注がれるように、聖霊は天から遣わされて、私たちを天へと導くのです。

 ところで雨の後に時々美しい虹が見られます。雨の後、空気中にたくさんの水滴が漂っている時、この水滴に太陽の光が当たって、屈折や反射でカラフルな美しい虹ができるのです。同じように、「眼が涙を宿すことがなければ、魂に虹はかからない」(アメリカの詩人ジョン・ヴァンス・チニー)のです。聖霊はしばしば涙を通して魂に虹をつくり、人間と神とのかけ橋としてくれます。私たちは喜びにつけ、悲しみにつけ涙を流します。そして涙を流した後、ちょうど雨の後に大地が潤されて、土や植物が何とも言えない良い香りを放つように、心が浄化されたように感じるのです。涙は神が人間に与えてくれた最も大きな賜物です。聖霊はしばしば私たちが望まない、想定外の涙で私たちを救いへと導くのです。

 「束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。逆境があるからこそ、私は走れるのだ。涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。」(マハトマ・ガンディー)  

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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