5月26日三位一体の主日
黙想のヒント

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなた方は、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです」(ローマの教会への手紙8:14)

 神の霊とは聖霊のことです。聖霊は絶えず私たちに前進し続けよ、立ち止まるな、後ろを振り返るなと命じ続けます。この聖霊は私たちを恐れや自己への執着から解放し、目を人へと向けさせてくださるのです。「この霊によって私たちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」(同8:15)だから聖霊の働きは、正しい言葉となって私たちを変容します。言葉は命です。私たちの運命は誰でもなく、私たちが発する言葉が決めているのです。

 音楽や絵画と同じように言葉は芸術であり、良い言葉は人を幸せにする力を持っているのです。そしてその言葉は発した人間に返ってくるようになっています。だから発信する言葉はきれいに使わなければならないのです。口癖を良くすると人生が良くなると言われています。だから良い言葉を使って、前向きに話して口元をきれいにしておきましょう。

 脳は言語を使って思考しています。ですから普段どんな言葉を使っているかで、私たち自身が影響を受けることになるのです。脳は主語を認識せず処理する特徴があります。即ち、きれいな言葉で人を喜ばせることは、自分を喜ばせることになります。例えば「Aさんは親切だ」、「Bさんは心がきれいだ」と言えば、脳は「自分は親切だ」「自分は心がきれいだ」と処理するのです。反対に悪い言葉は全部自分に跳ね返ってきます。例えば「Aさんが憎い」、「Bさんは狂っている」と言えば、脳は「自分が憎い」、「自分は狂っている」と処理するのです。

 話しをスノーボードに転じます。スノーボードの選手は自分が見ている方向に滑っていきます。だから目指す方向を見ていれば自然とそちらに進んでいきます。ところが視界の中で誰かが転倒すると、ついそちらを見て「ぶつかりませんように」と思ってしまえば、目はその方向に釘付けになってしまい、そのまま転倒者に激突してしまうのです。レーシングドライバーも同じで、壁に激突しそうになったら自分がハンドルを切る方向を見るのです。つまり抜け出す方向を瞬時に見る訓練をして、激突を避けるのです。言葉は人生のハンドルです。私たちもしっかりと自分が進むべき方向、即ち神だけを見つめましょう。良い言葉、プラス言葉を習慣化して、悪いことに直面しそうになったとき、瞬時に正しい言葉というハンドルを切って神だけを見つめ、現実を正しい方向に導いてもらいましょう。

 聖霊は私たちに恐れや不安ではなく、静寂さをもたらします。何事も興奮したテンションが高いときこそ要注意です。頑張ると言えば、がむしゃらにしてしまいます。全力と言えば、力ずくでしてしまいます。大切なのは気持ちをこめて行うという心の状態です。全身全霊のときにのみ、神意が働くと言われています。実は全身全霊で集中していると、自分以上の見えない力が働くのです。例えば筆を持った書道家のように、心静かに澄んだままの状態のときにこそ、本当に大切なことが実現できるのです。 

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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