6月23日年間第12主日
黙想のヒント

「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(マルコ4:38)

 静かな海は心を落ち着かせてくれますが、いったん荒れると命を飲み込んでしまうような恐ろしい形相に一変します。しかし同じ海でも弟子たちにとっては荒波ですが、イエスにとっては凪(なぎ)のようで、眠っておられるほどでした。人生は航海に例えられます。人生順風のときもあり、荒れ狂うときもあります。しかし人生順風で上昇気流に乗ったときというものは、とかく慢心して、つらい人の気持ちが分からなくなりやすいものです。反対に人生荒波のとき、即ち逆境のときにこそ多くを学び、人生が深められるものです。しかし人生が穏やかとなるか、荒波となるかは心がけ次第なのです。

 「心暗きときは 即ち遇う所ことごとく禍なり 眼明らかなれば 即ち途に触れて 皆宝なり」(空海)

 気持ちが落ち込むと、見る世界すべてが災いや不安に満ちたものに見えてしまいます。反対に心が清く澄んでいれば、同じ世界でもすべてが宝となります。人間は現実が思い通りにいかないと、すぐ人や社会のせいにしてしまいがちです。しかし、不安や迷いは自分の心の中にあり、反対に心を穏やかにすれば違う世界が見えてくるのです。世界を変えようと思ったら、まず自分自身を変えることです。

 歌人石川啄木の作品には海や砂をあつかったものが多くあります。歌集「一握の砂」には「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」「大という 字を百あまり砂に書き 死ぬことをやめて 帰り来れり」などが収められています。ある日啄木は、海に向かって何日も泣き続けたいと思い家を出ました。「大海に むかひて一人 七八日(ななようか) 泣きなむとすと 家を出でにき」しかし青函連絡船の中で見た大海原に心打たれ、 「山は動かざれども 海は常に動けり 動かざるものは眠の如く 死の如し しかも海は動けり 常に動けり これ不断の覚醒なり 不朽の自由なり」と日記にこの言葉を綴りました。大海原の前にもはや涙はなく、彼は心が解放されたのでした。人生は大海原と同じように、常に動き続けているのです。人生良いことばかりではなく、悪いこともあって当たり前だ。良いことから何か学ぶのなら、悪いことからもより一層多くのことが学べる、と啄木は考えたのかも知れません。

 人生の道はこれから歩む道だけではなく、今まで歩んできた道も大事で、人生を考えることは、むしろ人生を振り返ることでもあります。

 「子ども叱るな来た道だもの 年寄笑うな行く道だもの 来た道行く道ふたり道 これから通る今日の道 通り直しのできぬ道」(妙好人)

 神は人間に決して人生の往復切符を渡してはくれません。人生は常に片道切符です。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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