6月30日年間第13主日
黙想のヒント

「わたしの服に触れたのは誰か」(マルコ5:30)

 医療体制が今ほど整っていなく非常に脆弱であった当時、子どもの死亡率は高く、病気で人が亡くなるのは普通のことでした。今日の福音で二人の女性がイエスによって救われました。一人は12年間出血の止まらなかった女性と、もう一人は死んだヤイロの娘です。当時の人にとって病気と死は日常の出来事の一コマでした。それは現代の私たちにとっても同じです。私たちの周囲を見ても、毎日どこかで誰かが生まれ、どこかで誰かが死んでいます。人は一度生を受けた以上、必ずいつか死ななければならない。人間は致死率100パーセントです。でも同時に人間は生まれた以上生きなければならないのです。

 チャールズ・チャップリンの映画に「ライムライト」があります。あの美しい主題歌「テリーのテーマ」とともに心に残っている方も多いことでしょう。チャップリンが演じる老喜劇役者カルヴェロはかつて名優でしたが、今は落ちぶれて酒浸りの生活を送っていました。ある日、彼は同じアパートに住む若きバレリーナのテリーを自殺未遂から救ったことから二人の関りが始まります。テリーは精神的な問題からバレーができないどころか、歩くことすらままならない状態でした。彼はテリーを励まし勇気づけるうちに、一度は諦めていた自分も再び舞台に立ちたいという思いが募ってきました。そのカルヴェロがテリーに語ったのが、「人間は死すべき存在だ。だからと言って、生きることに意味がないと言ったり、生きることを放棄してはいけない。なぜなら生きることも避けられない人間の定めだからだ」という言葉でした。カルヴェロの励ましによって、テリーは奇跡的に歩けるようになり、再びバレリーナとして復活したのです。それだけではなく、テリーのために生きようとした彼自身の心にも希望の灯がともされたのです。人は、誰かのために生きようと決意したとき、自分の限界を乗り越えることができるのです。そしてついに喜劇役者としての最後の舞台のフィナーレで、大観衆はカルヴェロに割れんばかりの拍手をおくります。そして舞台の最後に登場したテリーの美しいバレリーナとしての姿を見ながら、彼は静かに人生の幕を閉じました。「ライムライト」だけではなく、チャップリンの作品の多くはヒューマニズム(人道主義)にあふれており、多くの人に生きる勇気と希望を与えてくれます。

 イエスによって救われた出血症の女性も、ヤイロの娘もいずれは死を迎えたことでしょう。イエスもそのことはよく知っており、自らも33歳で人生の幕を閉じました。しかしこの二人の女性に対するイエスの眼差しの中に、「ライムライト」の主人公カルヴェロの「死は避けられないのと同じように、生きることも避けられない人間の定めだ」という言葉が私には重なって見えるのです。

 「ライムライト」はあくまでも映画であり物語です。しかし人は物語が好きなのです。なぜなら、人は物語の中に自分自身の人生を見るからです。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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