「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(ヨハネ6:27)
かつて「夢のエネルギー」と言われていたものがありました。「高速増殖炉もんじゅ」では使用済み核燃料のプルトニウムやウランを燃料として発電しながら、消費した以上の燃料を生み出すことを目的とし、日本の国家プロジェクトとして一兆円以上をかけて建設されました。しかし度重なる内部事故により「もんじゅ」は2016年に廃炉が決定されました。結局「夢のエネルギー」は夢のまま終わりました。
イエスが言う「いつまでもなくならないもの」とは何でしょうか。人間の体にもエネルギーがあります。私たちは電気やガスなどのエネルギーを効率よく使うよう教えられ、実際社会の隅々でそれを実践しています。それならば、人間のエネルギーも効率よく使わなければならないのです。怒りや不安などのマイナス感情は体のエネルギーをかなり消耗しているのです。私たちは仕事で疲れたという言い方をしますが、実際は仕事そのものではなく、怒りや不安などのマイナス感情によるストレスでエネルギーを消耗して疲れているのです。それがやがて病気を引き起こすことは私たちが経験したとおりです。
反対に人間の体には決してなくならない、使えば使うほど生み出される「夢のエネルギー」があります。それは人のために生きようとする思いから生み出されるエネルギーです。実際私たちの周囲には、自分のことにはあまり関心がないが、人のためなら頑張れる、人のためなら必死になれるという人が多くいます。人の喜びや幸せが見たいということがモチベーションになって、それが脳内に幸せホルモンと言われるドーパミンやセロトニンなどを分泌させてやる気を起こさせ、それがまた脳の働きを活性化させるのです。ニュートンの万有引力の法則がここで働き、そのような人たちはお互い引力を出し合って引きつけ合い、社会をより良くしたいという運動に発展するのです。
人の喜びや幸せを目的として働けば、疲れるどころか、消費した以上のエネルギーが生まれるのです。これはもはや「夢のエネルギー」ではなく、「現実のエネルギー」なのです。
石川啄木の歌集『一握の砂』に、「こころよき 疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後の この疲れ」という歌があります。私はこの歌をこうアレンジします。「こころよき 疲れなるかな 人のため 尽くしたる一日の この疲れ」
人の幸せのために働いた後の「こころよき疲れ」は、人間のエネルギーを消耗することなく、ますます人のために働きたいというエネルギーを永遠に生み出すのです。これが、イエスが言う「いつまでもなくならないもの」です。最後にもう一つ啄木の歌で結びます。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」
(寄稿 赤波江 豊 神父)