「キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです」(エフェソ5:21~23)
それでは妻の役割は何でしょうか。夫を頭に例えれば、妻はその頭を望む方向に動かす首に例えられます。夫の未来は妻の力にかかっています。妻が光と闇を創造すると言っても過言ではありません。女性は男性の強い意志力に惹かれます。母親となる女性はか弱さ、優しさと共に、強さや自己犠牲の精神をも同時に与えられています。妻は夫に支配されたい、また保護されたいと願いながら、同時に夫の保護者であり光であり、また道案内でありたいと強く願っているのです。
男性と女性は社会的権利や人権の上では全く対等です。しかし男女は体の構造だけではなく、考え方、感じ方、出来事に対する反応の仕方も違うのです。例えば女性は様々な面で繊細で、非常に感じやすいのです。話しかけられたときの相手の声の調子や、いつもと違った様子で相手から見つめられただけで、過去の悲しみや不幸を思い出して考え込んでしまいます。このような時にこそ夫の優しい言葉が妻を勇気づけてくれるのです。
また女性はファッションなどに関心を持ち、他の女性より美しく優れた女性として見つめられたいと願っています。これが女性の素晴らしさで、この願いが家庭に、社会に、そして教会に光と暖かさもたらしているのです。男性はこの点を理解する必要があります。また女性は非常に小さなことを大切にし、そのことに愛や関心を示してほしいのです。それは思うだけではなく、言葉で表現することが大切です。特に必ず口に出して言わなければならない言葉が、「ありがとう」と「ごめんなさい」です。この二つの言葉は口に出して初めて「ありがとう」と「ごめんなさい」を実現させるのです。
しかし男性にも言い分はあります。夫が善良で忠実であっても時々鈍感になったり、うわの空になりやすいことを妻は理解してください。これは世界中の男性に共通することですが、夫が心から妻を愛しているときは、妻と自分は全く一体だと思うのです。だから妻に対して特別な注意を払うことを忘れてしまうことがあるのです。ですから時々「ありがとう」や「おいしいね」を言わなかったとしても、妻を無視しているわけではないのです。
男性は、実は外見よりずっと弱く、仕事などで女性より神経質になりやすいことを理解してください。男性は社会で大きく評価されるような立場にあっても、本当は妻の優しさと愛を必要としているのです。女性は経済的自立の上で一人の人間として生きていくことができますが、男性は老境に入り、また病気になったとき、それらの事態に対処できなくなることがあるのです。「全てのものは金で払われる。しかし愛は愛のみによって払われる」(スペインの諺)最後に、女性はいろいろな記念日を大事にしますが、夫が決して忘れてはならない記念日は、『妻の誕生日』と『結婚記念日』です。よろしくお願いします。
(寄稿 赤波江 豊 神父)