「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます」(ヤコブ1:21)
御言葉と聞くと、まず聖書の言葉を思い浮かべます。しかし聖書だけが御言葉ではないと思います。人を生かす言葉、励ましの言葉、癒しの言葉などは神から出る言葉であり、これらも神の言葉、御言葉と言っても過言ではないのです。反対に呪いの言葉、汚い言葉、軽蔑の言葉などは人を殺す言葉であり、これらは悪魔から出るのです。
人間の意識は言葉によって左右されます。人生は言葉によってつくられているのです。人間は生きていく上で栄養のある食物を摂取しなければなりません。同様に人を生かす言葉、明るく前向きな言葉は心の栄養であり燃料なのです。反対に汚い言葉、呪いの言葉、毒を含んだような言葉は、時空を超えて人の心を破壊する力をもっています。
人間の脳はネット検索と同じように、自分が発した言葉に合うものを探し出します。「嬉しい」「ありがたい」という言葉を発したら、自動的に嬉しい、ありがたいものをすぐ探して見つけてくれます。反対に「憎たらしい」「腹が立つ」という言葉を発したら、脳は自動的に憎いもの、腹が立つ原因をどんどん探すのです。人から何か忠告されて、「言ってくれてありがとう」と答えるか、「余計なお世話だ」と反発するかで、その後の展開は180度変わります。自分を生かすのも殺すのも私たちが発する言葉次第なのです。
ヨハネ福音書冒頭の「初めに言葉があった」は正に真実で、先に言葉があって、そこで意識したものが見え、育っていくのです。ですから普段私たちが無意識に使う「口癖」は習慣となり、人間形成に大きな影響を与えます。「習慣は第二の天性である」(アウグスチヌス)習慣が人格を形成します。ですから「ありがとう」「嬉しいね」「きれいだね」など明るい前向きな口癖を習慣化することによって、人生を明るい前向きなものにすることができるのです。反対に悪い口癖は人生を後退させます。私たちはミサの最後に「神に感謝」と唱えますが、人に感謝しない人が「神に感謝」はあり得ないのです。
子どもを育てるのも、共同体を育てるのも同じで、明るく前向きな言葉で相手の長所を伸ばしていかなければなりません。長所を伸ばすことで短所はそれに吸収されるのです。反対に短所ばかり指摘すると言葉も否定的になり、相手も委縮して将来に向かう努力も色あせてしまいます。それは人を批判する態度につながり、やがて「人のせいにする」という最も非生産的な考え方へと向かうのです。
そうではなく、自分の中には、あるいは共同体の中にはまだ芽吹いていないものがあるかもしれない、もしかしたら思いがけない良いものが潜んでいるかもしれない。こう気づかせて実践させて、自分自身をそして共同体を未来へと向かわせてくれるのは全て明るい前向きな言葉だけなのです。
(寄稿 赤波江 豊 神父)