1月19日年間第2主日
黙想のヒント

「イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた」(ヨハネ2:11)

 イエスはカナの婚宴で水をぶどう酒に変えられました。このイエスの最初のしるし(奇跡)は召し使いたち以外誰も知らないうちに静かに、むしろ隠れて行われました。水は日常生活に普通にある単純さのしるし(世界の多くの国や地域では水不足に悩んでいますが、ここでは日本を前提に話します)、ぶどう酒は聖書における豊かさのシンボルです。即ち、真の豊かさと霊性は日常生活の単純さのうちに秘められているのです。

 今年カルロ・アクティスが列聖されます。彼は15歳の時白血病で亡くなりましたが、彼の証しは今からちょうど100年前の1925年に列聖されたリジューのテレジアと全く同じで、単純な毎日の務めを愛によって完成させたことです。彼は快活な性格でサッカーやコンピューターゲームに興じ、サキソフォーンを愛する普通の少年でしたが、単に普通の生徒としての義務を果たしただけではありませんでした。初聖体以来一度もミサを怠らず、ロザリオを毎日唱え、教会では小さな子どもたちの宿題やカテキズムを手伝い、マザーテレサのボランティア活動に参加し、自らウェブサイトを立ち上げて世界中のご聖体に関する奇跡を紹介したのでした。彼はまさに日々の単純さを信仰によって完成させました。彼の遺体はイタリアのアシジにあるサンタマリア・マジョーレ教会に眠っていますが、その姿はジーンズにスニーカー、ジャケットという現代の青年を象徴する姿です。

 大事なのは今日の一日です。「豊な未来を創るという信念は、豊かな現在を創るという信念がない限り意味がない。今日こそ常に我々の最上の日であるべきだ」(トーマス・ドライアー)従って「今ここで克服できない時間は、永久に克服できない。今ここで楽しめない時間は永久に楽しめない。今ここで賢明な生活を送らなければ、永久に賢明な生活はできない。過去はもはや存在せず、未来は誰にも分からない」(デヴィッド・グレーソン)だから「一日一日の生活は、君の社(やしろ)、君の宗教だ」(カーリル・ギブラン)

 日々の単純さは「無駄」という言葉に置き換えられるでしょう。現代人は効率性と合理性の奴隷になっており、即戦力という言葉が重宝されています。しかし、「すぐに役立つこと」は、すぐに役立たなくなります。反対に一見して「すぐに役に立たない」ことが、いずれ役に立つようになります。「こんなものが役に立つのか」という疑問を持ち続けることによって、自らの答えに到達するのです。それが祈りであり、スポーツや勝負の世界でも「勝負の神は細部に宿る」と言われます。即ち神は勝負の大一番だけではなく、日常生活の細部を見ておられると言うのです。日頃の礼儀正しさ、正しい言葉使い、周囲の人への感謝と思いやりが勝負の大一番に現れるのです。

 イエスが日々の単純さという「水」を、チャンスや恩恵という「ぶどう酒」に変えてくださいますように。日常生活における単純さのなかで見出す「まさか」や「よもや」という感動のことが、実は聖書が言う「からし種」なのです。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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