1月26日年間第3主日
黙想のヒント

「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ記8:10)

 「私は運が悪い」とか「チャンスに恵まれない」と嘆く人が時々います。しかし、人生を変える機会は今この瞬間に、私たちがいるその場所にあるのです。過去や未来にすがるのではなく、今のこの瞬間を真剣に生きましょう。禅にも「而今」(じこん)という言葉があります。「人生には今というこの瞬間しかない。一瞬一瞬が勝負の時だという自覚を持って生きるように」という教えです。大きなチャンスや恵みはいつかやって来るというものではなく、いつでも「今がそのとき」であり、「そのときが今」なのです。だから「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ」という自覚を絶えず持ち続けましょう。

 人間の成長は右肩上がりに進むように見えますが、実はそうではなく成長と停滞を繰り返しながら階段状に進みます。一段階成長すると、しばらくトンネル状態が続き、またある時急に伸びます。人生には炎の時と灰の時があるという言い方があります。また人生は竹のようなもので、節目、節目で試練があるが、それを乗り越えることで成長するとも言われます。この急に伸びる瞬間とは「何かに気づいた瞬間」です。大事なのはその気づきによって得られた成果よりも、何をどのようにして気づいたかという「過程」です。それが分かれば、以後は気づきが早くなり、豊かに成長することができます。一瞬一瞬を大切に生きれば、必ず成長につながる「気づきの瞬間」がやってきます。なかなか実感できなくても、この「気づきの瞬間」を求め続ければ必ず道は開けるでしょう。

 この人生の途上で見出す「気づきの瞬間」については過去の偉人たちがそれを証ししています。「私は自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見出すことができたのも、この障害を通してだったからです」「私は素晴らしい尊い仕事をしたいと思っています。でも私がやらなければならないのは、小さな仕事をも素晴らしく尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです」(ヘレン・ケラー)

 「過去30年の間に、私は世界のあらゆる文明国の人々から診察を求められ、数100人にのぼる患者を治療した。人生の後半を迎えた患者たち、即ち35歳以上の人々は一人の例外もなく宗教的人生観に救いを求めるべき状態にあった。彼らはあらゆる時代の生きた宗教がその信徒に与えたものを見失ったがために病気に冒されたと言っても過言ではない。同時に宗教的人生観を取り戻していない人々は、本当の意味で癒されたとは言えないのである」(カール・ユング)

 しかし私にとって「最高の気づきの瞬間」」は次の言葉に尽きると思います。 「本当に幸福になれる者は、人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを見出した者である。これが私の確信である」(アルベルト・シュヴァイツァー)

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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