2月23日 年間第7主日
黙想のヒント

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」(ルカ6:27)

 敵とは誰でしょうか。一般には思い出すと怒りや憎しみを覚える人たちのことでしょう。私たちが敵に憎しみを感じると、実は自分自身が敵に支配されることになるのです。その支配力は非常に強く、私たちの睡眠や食欲、健康にまで及びます。怒りと憎しみは他のどんなものよりも体のエネルギーを消耗するからです。家庭のごみを毎日出すのと同じように、怒りと憎しみという心のごみもすぐ捨てることです。そしてそのような感情がわいてきたとき、その感情は誰かの行動の結果ではなく、実は私たち自身の選択によって生まれたものだと理性的に判断できれば、その対処の仕方も見えてきます。

 私たちが誰かを嫌うとき、実はその人の全てではなく、その人の性格、話し方や振る舞いが嫌いなのです。なぜそんなに嫌うのか。その答えは、私たちもそれと同じ本質をもっているからです。私たちが忌み嫌い隠しているその本質を、その人は私たちの前で見せている。それで気に入らないのです。ですからこの人が嫌いだと感じたら、同じものが自分にもあることに気づきましょう。そして自分が嫌って隠しているその本質を受け入れ、自分を好きになりましょう。そして負の感情や悪意を抱いてしまった自分と和解しましょう。そうしないと苦しむのは自分だからです。人に悪意を感じれば自分にも悪意を感じるし、人を好意的にとらえれば、実はそれは自分について好意的にとらえることと同じなのです。「人生はまるでブーメランだ。人に与えたものが手元に返ってくる」(デール・カーネギー)

 ところで、怒りや憎しみの中に別の感情がこもっているのではないでしょうか。それは不安です。憎しみや怒りは全て不安から生まれるのです。不安は個々人だけではなく、実は人類全体の大敵でもあります。不安というものは、原因が漠然としていて、正体がはっきりつかめないところから生まれます。ですから「なぜ自分は今不安なのか」と自問自答してみるといいのです。なぜかと問う時、答えは既に見つかったようなもので、結局「何だ、こんなことか」という、取るに足りないことが案外多いのです。

 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」しかし無理に頑張って愛そうとすると自滅的な結果につながりやすく、願いとは正反対の結果を引き寄せてしまいます。その状況を乗り越えようとする不安感が心を支配するからです。不安の中では神意が働きにくいのです。筆を持った書道家のように心に静寂さを保ちながら、自分の弱さを素直に受け入れ、自分が欠点だらけであるのと同じように、人は欠点だらけで、弱さの故に過ちに陥ることが分かれば、敵を愛することができなくても、少なくとも受け入れることができるでしょう。人は長所で尊敬され、欠点で愛されることも事実です。   

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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