3月9日 四旬節第1主日
黙想のヒント

「イエスは、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられた」 (ルカ4:1~2)

 イエスは宣教活動という、未知で大きな仕事にとりかかろうとする前、荒れ野で大きな試練を受けました。その苦悩が「“霊”によって引き回され」という言葉に表されています。“霊”というのは聖霊のことです。「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった」(4:1)はずですが、その同じ聖霊が今度はイエスを試練へと導きます。「人間は努力するかぎり迷うものだ」(ゲーテ)という言葉が思い出されます。イエスの前には、失敗したときのための安全弁や逃げ道はないのです。人は失敗したときの逃げ道など一切考えず、背水の陣をしいて、ただ進むのみという状態に自らをおいたとき、おのずと落ち着きが出て心も決まり、真の力が発揮できます。この点から、イエスが荒れ野の試練の後宣教活動に出た理由が理解できます。

 イエスの宣教方針は決して理性と論理によって導かれたものではなく、聖霊による鋭い直感と豊かな想像力によって導かれたものでした。いつの時代でも、将来を予知するのは政治であれ経済であれ、そして宗教であれ指導者の直感なのです。またイエスの想像力の豊かさは、多くのたとえ話で一般民衆に分かりやすく話したことからもうかがわれます。しかしこのイエスの豊かな想像力の中に悪魔が侵入し、イエスを誘惑します。

 想像力は人間だけがもつ特性で、「想像力は知識にまさる」(アインシュタイン)のです。想像力は魂の建築家です。しかし抑制のない想像力は悪魔のように人間の魂を破壊しかねないところがあります。想像力は偉大な機能であり、無限の可能性を秘めていますが、大きな危険性もあり、常に理性と意思の力で監督していなければならないのです。イエスはこの悪魔の三つの誘惑にさらされましたが、神的理性と強い意志力で乗り越えました。

 想像力とは単なる空想や推理ではなく、与えられた使命の中からひとつの解決を見出し、全く新しいものを作り出す「創造力」なのです。それはどのような時代にも適応し、たくましく人間らしく生きていく能力で、単なるアイデアを生み出す力でもなく、また知能検査で計られる知能指数とは別次元の能力なのです。イエスは最初一般民衆にも分かりやすく語った想像力に始まり、その本来の宣教の中心課題である“人間の尊厳”、即ちどんな掟や制度や儀式よりも大切なのは人間一人一人であるという人間愛で完成されました。「知は愛、愛は知である」(西田幾多郎)。即ち、ものごとを知るためにはその対象物への愛がなければならない。だから、人間を知るためには、人間への愛がなければならない。このように、イエスの想像力はやがて、単なる人間の世界を、愛という異次元の世界に変えた創造力へと発展していきました。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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