「これはわたしの子、選ばれた者」(ルカ9:36)
これは天の御父がイエスに向けて語りかけた言葉であると同時に、私たち一人ひとりに向けて語りかけている言葉でもあります。私たちも選ばれた者です。しかし選ばれたという意味は、他の人と比べての能力や業績などの優劣についてではなく、私たちの人生がこの世界で唯一無二、誰とも比べられないという意味においてです。それは個性という言葉で表現できます。一人ひとり個性があります。しかし自分には人に誇れるような個性はないと思っている人もいるかもしれません。しかし少しも個性的でない人などはこの世に誰もいないのです。
「絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること、それが最も素晴らしい偉業である」(エマーソン)平凡で取り柄がないと自称する人でも、話してみると案外味わい深い面があることに気づきます。また貴重な個性を欠点だと勘違いして隠そうとする人もいます。反対に「少しの欠点も見せない人間は馬鹿か偽善者である。欠点の中には美点と結びついて美点を目立たせ、矯正しない方がよい欠点もあるのである」(ジューベール)。個性と呼ばれる一人ひとりがもつ心身の特徴は、長所よりも欠点によって導き出される方が多いのです。魅力ある個性は、欠点というスパイスがきいた長所から生まれてきます。欠点が長所をいっそう引き立たせて、鮮やかに浮き彫りにしてくれます。人は長所で尊敬され、欠点で愛されるのです。
また心身の障がいがその人の個性となって表れてくることもよく見られます。内心の声に耳を傾け、障がいという心身の不自由さの中に自分だけの特権を見出し、それをバネに社会に貢献した人は無数にいるのです。見えない、聞こえない、話せないという三重苦を乗り越えた社会活動家ヘレン・ケラーに影響を与えた江戸時代の学者塙保己一(はなわほきいち)がいます。ヘレン・ケラーが幼少の頃母親は、「日本には全盲でありながら大変な偉業を成し遂げた塙保己一という立派な学者がいるのよ。あなたもがんばりなさい」と励まし、彼女は塙保己一を手本としていたと言われます。1937年彼女が日本を訪問した時、塙保己一のゆかりの地を訪れて「私は、つらく苦しい時でも保己一先生を目標にして頑張ったからこそ、今の私があるのです」と語ったのでした。点字もなかった江戸時代に、全盲という当時のコンプレックスを覆して万巻の書に通ずる大学者となり、目の見える人でさえ手の出せなかった古書の分類編纂を成し遂げて『群書類従』(ぐんしょるいじゅう)を刊行、その後正続あわせて二千冊近くを刊行し、超人的偉業を成し遂げました。彼は7歳で失明しましたが、優れた人格者でもあり16歳の時「怒らぬ誓い」立てました。些細なことで怒っていては、大成はできないとし、それ以来生涯一度も怒ることはなかったと言われ、また同じ障がいを持つ人たちの社会的地位向上にも尽力しました。
(寄稿 赤波江 豊 神父)