3月23日 四旬節第3主日
黙想のヒント

「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ13:5)

 「滅びる」とは恐ろしい言葉です。ましてや神から滅びを宣告されたらどうしようかと不安を感じるかも知れません。しかし全ての人の救いを望む神は人間を滅ぼすことも、地獄に突き落とすこともありません。では誰が誰を滅ぼすのか。そのヒントは第2朗読にあります。「不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました」(1コリント10:10)滅ぼす者とは、不平を言う自分自身のことです。不平を言いながら、自分で自分の首を絞めているのです。

 私たちは無数の記憶の中に生きています。記憶は私たちの体の一部であり、人格形成の設計図です。しかし記憶は劣化することもあり、また誤認識もあります。実は、私たちは記憶をしばしば書き換えているのです。歪んだ目で書き換えられた記憶はやがて不平を生み出します。不平は自分自身を滅ぼす恐ろしい罠で、それは必ず一つの非生産的な症状、つまり何か問題があったとき、「人のせいにする」という症状を生み出します。人を批判して、人の責任にしても何の解決にもなりません。それに対して自分はどうあるべきか、自分には何ができるのか、全てを自分に置き換えて考えてみないと何の解決にもなりません。

 いかなる経験もそれ自体は成功の原因でも、失敗の原因でもないのです。例えば、何か人との衝突があって傷ついたと思っているとき、それは自分の身に起こったことで傷ついているのではなく、その衝突に対する自分の反応によって傷ついているのです。「あなたの許可なしに誰もあなたを傷つけることはできない」(エレノア・ルーズベルト)「自分から投げ捨てさえしなければ、だれも私たちの自尊心を奪うことはできない」(ガンジー)私たちは過去の経験を変えることはできませんが、その意味付けを変えることはできます。それだけで人は変わるのです。このように、人は単に自分の経験によって決定されるのではなく、経験の中から自分の目的に適うものを見つけることによって決定されるのです。

 不平の代わりに、今度は楽しかったことを思い出してみましょう。自分の心を過去の幸せな出来事に集中し、その出来事を生き生きと思い出してみましょう。それを心の中で再現するのです。その時の気候や着ていた衣服や食事の温もりなど、その時の情景をはっきり思い浮かべ、その時の感情を生き生きと再現してみましょう。そうやって得られた穏やかな心の状態を保ちながら、自分の意識の全てを、今自分に不安をもたらしている問題に集中し向けてみるのです。そうすれば、少し前には解決が困難に見えた問題が、驚くほど単純で容易なものになっていることに気づくでしょう。そのとき、穏やかな心の中で得られた洞察力と判断力を駆使して、次に自分が進むべき最善の道を見出すでしょう。「そうすれば、来年は実がなるかもしれません」(ルカ13:9)。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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