「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」(ヘブライ10:22~23)
今のこの時代は変化が激しく、明日何が起こるかを予測するのは非常に困難で、あらゆることが想定外です。こうした変化に対して、変化を迎え撃つかのようにチャレンジする人もいれば、平穏無事を望んで変化のない日々に安堵する人もいます。しかし、明日そして未来が予測できない不確実なものだからこそ、人は人生に関心をもち、文学や科学も意味をもつのです。もしあらゆることが前もって計算され、何も想定外のことが起こらないのであれば、人生はきっと退屈なものになることでしょう。確実なものは何もなく、絶えず変化するからこそ、そこには無限の可能性があって人生は生きるに値するし、次々と訪れる新たな課題を解決しようと努力することもできるのです。
この不確実な世の中で、一歩踏み出して様々な変化を迎え撃つとき避けられないのが「失敗」です。しかし大事なのは失敗しないことではなく、失敗したときにいかに正しい行動をとり、かつ失敗を教訓として生かすことなのです。失敗してもかまわないという失敗への覚悟ができると心は軽くなります。失敗を過度に恐れると、成長に不可欠なリスクを伴う決断ができなくなります。人生にリスクを伴う決断を取り入れない限り、人は成長しません。人間この世に生まれた以上、一度は「鬼の口」に飛び込むような思いをしないと生の実感は湧かないものです。実はリスクを取らないことが、最大のリスクなのです。イエスの生涯における最大のリスクは受難と死でした。しかしイエスはその歩みのなかで「正しく生きるのなら失敗してもかまわない」という御父の声を聞き、十字架という「鬼の口」に飛び込んだのでした。「約束してくださったのは真実な方」(10:23)であるイエスの約束とは、同様に私たちも「正しく生きるのなら失敗してもかまわない」という安心感なのです。だから「信頼しきって真心から神に近づこうではありませんか」(10:22)失敗はまるで生き物のように私たちを成長に導く大きなエネルギーを秘めているのです。
今大リーグで大谷翔平選手らが目覚ましい活躍を見せていますが、よく野球は失敗のスポーツであると言われます。打率3割もあれば優れた選手と言われますが、他の7割は失敗しているのです。ピッチャーにしてもノーヒット・ノーランの完全試合などめったにできることではなく、ヒットを打たれてもいかに少ない点数で抑えるかがポイントになります。ですからプロ野球の世界では「失敗することと、失敗を繰り返さないこと」が強調されます。かつて弱かったヤクルトを何度もリーグ優勝や日本一に導き、また他球団から見放された多くの選手を受け入れて、その長所を伸ばして再び活躍させ「野村再生工場」と言われた野村克也さんは「失敗と書いて“せいちょう”(成長)と読む」という言葉を残しています。
(寄稿 赤波江 豊 神父)