「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒言行録2:3)
祈っていた弟子たちの上に聖霊が降り、弟子たちは聖霊に満たされ、ほかの国々の言葉で話し始めました。そこには様々な国からの巡礼者がいたのに、「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(2:7)と人々は驚きました。聖霊の大きな働きは、言葉の違いを超えて私たちを一致させることです。
言葉は人間にだけ与えられた特権です。言葉と同じように、人間だけが有する特権に笑いがあります。そして笑いは言葉の違いを超えることができるのです。人生にユーモアは不可欠であり、多くの聖人たちも笑顔とユーモアを忘れませんでした。実に、ユーモアは大切な「徳」なのです。「毎日の生活の中で、一番無駄に過ごされた日は、笑わなかった日である」(シャンフォール)哲学者アランは『幸福論』で、「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」と語っており、このことは科学的にも実証されています。同じことは、「悲しいから泣く」のではなく、「泣くから、悲しくなる」のです。行為によって自己暗示をして、それによって心の問題を解決することができるのです。辛いこと、悲しいことがあったら、無理にでも笑ってみましょう。そうすれば辛いことや悲しいことの方が逃げて行きますから。「笑っている顔は殴れない」という朝鮮半島の諺があります。明るい笑顔で近づいて来る人に対しては、いくら腹が立っていてもこぶしを挙げるのは難しいものです。そこから、いつもにこにこと笑って過ごしていれば、不幸も避けて通れるという例えです。「笑いは無上の強壮剤であり、開運剤である」(中村天風)
しかし、行き詰まったとき笑ってなんかいられない、という人もいるでしょう。ある聖人は「あなた方が行き詰まったときは、まずよく食べなさい、よく寝なさい。そして旅に出なさい。それから祈りなさい」と教えました。これは実に健全な霊性なのですね。行き詰まったからと言って、やみくもに祈ることはあまりすすめられません。よく食べて、よく寝て心身ともに健康な状態でなければ適切な判断はできないのです。旅に出ることも非常に大事です。旅は新しい気づきの連続です。旅を通して自分の中に、それまで知らなかった新しい自分が見えてきます。「真の発見の旅とは、新しい風景を求めることではなく、新しいものの見方を得ることだ」(マルセル・プルースト)
心にわだかまりがあると、素直に笑えないのが人間の常です。ですから、よく食べ、よく寝て旅に出たとき、心に余裕ができて、何をどう祈ればいいかも見えてきます。このように正常な健康状態の中でユーモアも回復されます。そうすれば今まで悩んでいたことも、実はさほどのことでもなかったと気づくようになります。人生の最期をユーモアで迎えることができたら最高だと思います。ある教区司祭は癌で亡くなる数日前、電話をもらった友人に、笑いながら「僕、今臨終なんだ!」と答えたそうです。ユーモアも聖霊の働きです。
(寄稿 赤波江 豊 神父)