6月29日聖ペトロ聖パウロ使徒
黙想のヒント

「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイ16:18)

 ローマのバチカン(聖ペトロ大聖堂)の正面にはペトロとパウロの巨大な像が建っており、それぞれシンボルとしてペトロは鍵を、パウロは巻物と剣をもっています。この二人は非常に対照的です。ペトロは漁師でイエスから直接弟子として招かれ、人間味あふれる姿を示し、弟子たちのリーダーですが、聖書はペトロのことを「無学な普通の人」(使徒言行録4:13)と伝えています。一方パウロは熱心なユダヤ教徒でキリスト教徒への迫害者から一転して回心し、非常に優秀な神学者、かつ異邦人に福音をのべ伝え、異邦人の使徒と言われます。多くの手紙を残し、後にそれらは聖書と認定されました。

 ところで、これほど偉大な二人の使徒をなぜ一緒に祝うのでしょうか。個別に祝う方が彼らにふさわしいのではないでしょうか。しかしこれには理由があります。ペトロは「無学な普通の人」ですが人情味があり、直感で動く人です。パウロはどちらかというと厳格ですが優秀で理性的な人です。神は人間に二つの偉大な能力を与えました。それが理性と直感です。人間の脳も直感、想像をつかさどる右脳と、論理や言語をつかさどる左脳に分かれます。この二つの脳をフルに使いこなしながら、人生そのものを心(直感)と知性(理性)の交流によって豊かな牧場にしなければならないのです。

 このように、人間にはペトロに代表される直感と、パウロに代表される理性が必要なのであり、直感のみ、理性のみに偏ってはいけないのです。しかしながら、科学技術が進歩すればするほど理性が重んじられ、宗教や霊性に代表される直感が低く見られる傾向があります。科学の力で解明できないことは、即ち存在しないことであると主張する科学崇拝主義者もいることでしょう。しかし信仰とはある種の直感であり、直感で感じたことを理性の力で表現するのです。また神の存在や超自然的な現象など、実験によって証明できないことも、科学の一つの結論として認めなければならないのです。

 1912年ノーベル医学生理学賞を受賞したアレクシス・カレルはもともと教会に対して不信感をもっていましたが、ちょうどパウロがダマスコへの途上で劇的に回心したように、彼は旅先のルルドで奇跡を目の当たりにし、それ以来彼の人生は180度変わったのでした。彼は「祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。それは地球の引力と同じ現実的な力である。私は医師として多くの人があらゆる治療で失敗した後、祈りという厳粛な力によって病気から救われた例を目にしてきた」と語っています。

 「この地球上においてすべての物体は地球に引き寄せられているだけではなく、この宇宙においては全ての物体は互いに引き寄せあっている」というニュートンの万有引力の法則を認めるのなら、「全ての人は神に引き寄せられているだけではなく、全ての人は祈りによって互いに引き寄せあっている」という祈りの法則も認めないわけにはいきません。

 「祈りは神の引力」だからです。 

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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