「私はあなた方を遣わす。それは狼の群れに子羊を送り込むようなものだ」(ルカ10:3)
現代社会の「狼」、それは情報です。偽情報が氾濫しているだけではなく、正しく話したつもりが間違って伝わり、言わなかったことが言ったかのように拡散されています。このような情報という狼の前で、私たちはまさに子羊のような存在です。ネット社会は僅かな有用性と、取り返しのつかない害をもたらしたと言っても過言ではありません。特にSNSは間違ったことに心を仕向ける巨大な装置です。
生活する上で必要な知識は、この情報社会にあって瞬時に手にすることはできますが、人生を生きる上で不可欠な「知恵」は、人と直接出会わなければ得ることはできません。人生を生きる知恵は、一人一人の中に唯一無二の生き方として息づくものだからです。「全ての真の生は出会いである」(マルティン・ブーバー)私はネット上でキリストと出会うことは非常に難しいと思います。ネットはキリストに関する情報は与えてくれますが、キリストとの出会いは生身の人間との出会いの中にあるのです。「幸福な家庭はどこも互いに似かよっているが、不幸な家庭はどこもその不幸の趣が違う」(トルストイ)だから十字架を背負った人、一人一人に人生の奥深さがあり、そのような人との出会いを通して、キリストと出会うのです。苦悩の深さは祈りの深さにつながるからです。
中国の荘子の思想に「無用の用」があります。一見して役に立たないと思われるものの中に真の価値があるのだ、という思想で現代こそこの考えは必要です。梅雨も明けて本格的な夏に入りました。連日の猛暑で天気予報でも「不要不急の外出は控えてください」と毎日のように伝えています。しかし、人間関係にあってはこの「不要不急」が大事なのです。目的をもって話し合う会議よりも、日頃の何気ない不要不急の会話や挨拶の中に、人生を生きる知恵が隠されているのです。
インドの宗教家で哲学者のクリシュナムルティは「ものごとは努力によって解決しない」という不思議なことを言いました。「ものごとは努力によって解決する」と信じている人にとっては納得のいかない言葉でしょう。反対にいくら努力しても報われない、とか頑張れば頑張るほど、それが裏目に出るという話も耳にします。そのようなとき、何もしないでいることが耐えられない、あるいは何かしなければと思いながらも、解決の方にばかり目が向いて、努力に腰が入らないのです。解決策というものは、実は案外何もしないときにふとやってくるものです。何もしないときというのは、努力や頑張りという意識を忘れているとき、不要不急の会話や挨拶のときなどです。このようなとき、心はリラックスしているのであって、リラックスの状態の中でチャンスは訪れるのです。聖書全体はこのことを、人間の思いを超えたところに神の働きがあると表現しています。
情報という狼を前に、心に平静を保ちながらパウロと共に「これからは、誰も私を煩わさないでほしい」(ガラテヤ6:17)と言いましょう。
(寄稿 赤波江 豊 神父)