7月13日年間第15主日
黙想のヒント

「わたしの隣人とは誰ですか」(ルカ10:29)

 「助けを必要とする命がある限り、私は働き続ける」と言って、戦争中善きサマリア人として敵味方の区別なく負傷兵を看護し、後にスパイ罪で銃殺されたイーディス・キャヴェル(1865~1915)はイギリスの従軍看護師です。

 彼女はブリュッセルにあったベルギー初の看護学校教師として招かれ、最初は4人の学生から始まりましたが、6年間で400人もの看護師を送り出しました。しかし第一次世界大戦が勃発してドイツ軍はベルギーに侵攻し、看護学校は直ちに赤十字病院となりました。しかし彼女はベルギーで負傷した兵士を連合軍、ドイツ軍の区別なく看護しました。彼女は他の看護師たちに、運ばれてくるのが敵兵であっても受け入れるよう指示し、とまどう看護師たちに「彼らもまた誰かの父であり、夫であり、子なのです。分け隔てなく看護しましょう」と善きサマリア人であることを願い続けました。

 しかし彼女は当時ブリュッセルに残っていたフランスやイギリス軍の兵士を隠し、200人以上を密かに脱出させたレジスタンスに協力していたため、スパイの疑いを受けてドイツ軍によって銃殺刑が言い渡されました。この決定に対して駐ブリュッセルのアメリカ公使やスペイン公使が、ドイツ軍兵士をも手厚く看護した彼女の減刑を求める手紙を書き続けましたが、結局1915年10月12日彼女は銃殺されました。享年49歳でした。彼女の処刑は直ちに国際的な非難を受け、世界に大きな衝撃を与えました。

 彼女は生涯の最後まで、自分の助けを必要とする全ての人の隣人となることを願ったのでした。彼女は聖公会の熱心な信徒で、死刑執行の前日訪れた聖公会のスターリング・ガハン司祭に「神と来世を前にして一言だけ言わせてください。わたしは分かったのです。愛国心だけでは不十分です。わたしは誰も憎んだり、恨んだりしてはならないのです」この言葉は愛国心の名のもとに、今なお戦争が絶えない現代世界に対する永遠のメッセージなのです。

 戦後彼女の遺体は人々の尽力により、イギリスのノーリッジ大聖堂に移されました。ロンドンのトラファルガー広場にはイーディス・キャヴェル記念碑があり、そこには彼女が処刑前日語った「愛国心だけでは不十分です。わたしは誰も憎んだり、恨んだりしてはならないのです」という言葉が刻まれています。彼女はその後聖公会で聖人として列聖され、10月12日が彼女の記念日です。

 なお彼女が処刑された年の12月19日にフランスで生まれ、後に『愛の賛歌』などで有名なシャンソン歌手になり、今なお根強い人気があるエディット・ピアフの名前は、当時フランスでも人々を鼓舞したイーディスのフランス語発音です。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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