「まず腰をすえて」(ルカ14:28, 31)
十字架を背負うとはどういうことかを、イエスは二つのたとえを用いて「まず腰をすえて」よく考えよと語っています。ロシアの作家ツルゲーネフは人間の性格を「ハムレット型」と「ドン・キホーテ型」に分類しています。シェークスピアの戯曲「ハムレット」の主人公ハムレットは人生の難題に直面し、生きていくのが苦痛になりました。それならいっそのこと死んで、悩みと苦痛から解放されたいと考えます。しかし命を絶つことで本当に悩みと苦痛から逃れられるだろうか。死後の世界のことは生きている人間には分からない。死は苦悩だけを永遠の世界に持ち込むだけではないのか。こうしてハムレットは悩みます。それが有名な彼のセリフ『生きるべきか、死すべきか、それが問題だ』に表されています。彼は内省的ですが懐疑家、よく考えて行動しようとしますが、自分を見つめてすぎて苦悩ばかりしています。
セルバンテスの名作「ドン・キホーテ」の主人公のドン・キホーテは夢想にふけって冒険ばかりを求め、ついには理性を失うほどの誇大妄想にとりつかれます。そして猪突猛進で社会の不正に戦いを挑み続けますが、彼は至るところで現実と理想のギャップに苦しんで失敗を重ね、人々の嘲笑の的になります。しかし彼は最後には狂気と誇大妄想から目覚め、理性を取り戻して人々に赦しを願い、敬虔に大往生をとげます。
何ごとも「まず腰をすえて」よく考えなければなりません。しかし長く考え込んでいることが、必ずしも最善の策とは限らないのです。自分のことは自分が一番よく知っていると誰もが思いますが、このような自己判断は案外正しくない場合が多いのです。それは経験や環境によって多分に影響を受け、思い込みで判断しやすいからです。自分のことであっても、人の意見に耳を傾け、客観的に判断することも必要です。知恵の書は「死すべき人間の考えは浅はかで、私たちの思いは不確かです。朽ちるべき体は魂の重荷となり、地上の幕屋が、悩む心を圧迫します」(9:14~15)とハムレットのように悩みながらも、最後には「こうして地に住む人間の道はまっすぐにされ、人はあなたの望まれることを学ぶようになり、知恵によって救われたのです」(9:18)と自分の歩むべき道を確信しています。
フィレモンへの手紙を書いたパウロはドン・キホーテ型の典型です。彼は熱心な律法主義者で、夢と現実の区別がつかず、誇大妄想にとりつかれキリスト者を迫害していました。しかしダマスコへの途上でイエスの声を聞いて誇大妄想から覚め、劇的に回心します。そして過去の罪の赦しを願って敬虔にイエスに従い、ついに大往生を遂げます。
さてここで、自分はハムレット型か、ドン・キホーテ型かと考えても意味はありません。それは人が評価することだからです。何か十字架に直面し「まず腰をすえて」考え悩みながらも、決断すべきときには先延ばしせず、しっかり決断しなければならないのです。特に人生の大きな決断は、決して先延ばししてはいけません。
(寄稿 赤波江 豊 神父)