「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」(ルカ16:8)
この言葉は、今社会でよく使われる「ビジネスチャンス」という言葉で表現できるでしょう。例えば、昔日本では引っ越しが大変でした。そこで引っ越しを専門とする会社ができて、多くの人がその会社を利用していします。また白アリやスズメバチで困ったと言えば、それを駆除する会社ができ、ゴミ屋敷や空き家が増えて困ったと言えば、それを片付け、また管理する会社ができました。このように社会で何か困ったことがあれば、人々はそこにビジネスチャンスを見つけ、会社を立ち上げ雇用を生み出します。このように「リスクはチャンス」とか「必要は発明の母」とか言われて、社会の人々は困難をチャンスに変える生き方を身に着けています。
それならば、もっと大切な信仰も同じように困難の中からチャンスを見つけましょう。それは罪体験のことです。イエスの弟子たちを始め多くの聖人たちは罪体験によってこそ、罪をのり超える神の恵みを体験したのです。弟子たちの生涯最大の過ちは、イエスの受難のとき、イエスを見捨てて逃げ去ったことでした。しかし復活したイエスとの出会いにより、裏切られても人を赦すイエスの最大の愛を知ったのでした。ですから罪人であることは神の愛を学ぶ大きなチャンスなのです。
過ちは誰にでもあります。しかし人は成功からよりも、むしろ失敗から多くのことを学び、それを見つめ直すことで新しいチャンスが得られるのです。「過ちを認めることを決して恥じるべきではない。それは別の言い方をすれば、今日の自分は、昨日の自分よりも賢くなったということなのだから」(イギリスの詩人アレキサンダー・ポープ)ですから、過ちや失敗から新しいことを学んだら、それはもはや過ちや失敗ではなく「貴重な体験」となるのです。私たちはそれをよく「あの時のおかげで」という言い方をします。
世界で初めて「無意識」について研究したフロイトは、神経症などの疾患は脳のしくみに問題があるのではなく、無意識が脳に大きな影響を与えていることを彼は突き止めました。彼によれば、強くなろうと思えば思うほど、自分の弱さに集中してしまい、無意識で悪影響を及ぼすことになる。本当の強さは、自分の弱さを認めるところから育ちます。自分は弱いと認めれば、強くあらねばならないという強迫観念と恐れは解消するからです。強くなろうとして強い人の真似をしてはならないのです。彼はまた、本当に自分の弱さを認めた者こそ、充実した人生を送ることができると述べています。
このことをフロイトに先立つ二千年前にパウロは述べています「キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう…なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリント12:9~10)弱さは信仰を育てる罪人の最大のチャンスです。なぜなら、自分が最も弱いと思っているところ、そこに神はおられるからです。
(寄稿 赤波江 豊 神父)