10月19日年間第29主日
黙想のヒント(第274話)

「愛する者よ、自分で学んで確信したことから離れてはいけません」(Ⅱテモテ3:14)

 「私が遠くを見ることができたのは、巨人たちの肩に乗っていたからだ」これは万有引力法則の発見で有名なアイザック・ニュートンの言葉です。彼は偉大な先人たちの業績を巨人にたとえ、自分が素晴らしいことを発見できたのは、自分より前の偉大な人たちの努力や業績があったからだと述べています。大切なものを見極める一つの基準があります。それは「価値あるものは残る」ということです。今私たちが持っている知恵や知識、そして信仰は価値あるからこそ残って私たちを支えているのです。

 私たちもまた古典やその著者たち、そして先人たちの信仰を「巨人」にたとえ、今を生きる私たちはその巨人の肩に乗ることで、多くのものを見ることができるのです。特に古典は何百年、何千年と世界中で読み継がれてきたもので、その内容は人生の本質をついており、読めば読むほど今を生きる私たちにとって無限の栄養源となっているのです。このような古典を通して先人たちの優れた精神に触れると、不思議と常に彼らとともにあるような気持になり、決して自分が孤独ではないことに気づきます。

 同時に優れた古典を読むことは、その著者と直接会って話すという疑似体験ともなります。その著作を読むことは、その著者の考え方を知ること、つまりその人と会って話を聞くことと同じだからです。私たちにとってその典型が聖書です。聖書は二千年以上もの歴史の風雪に耐えながら人々の心を支えてきました。その聖書、特に福音書を読むことによって、その著者であるキリストと直接会うという疑似体験ができるのです。その聖書を読みながら、同時にキリストが語っているその声を聞くのです。その歴史の荒波を乗り越えてきた聖書が自分を支えてくれていると思ったら、大船に乗った気持ちになってニュートンの言葉を変えながら、「私が永遠を見ることができるのは、キリストの肩に乗っているからだ」と言うことができます。

 イエスは自らを後世に残そうと書物を書き残したのではなく、弟子たちがこれは大切だからぜひ残したいと書き留めたものです。しかも決して難解な文章ではなく、子どもが読んでもある程度理解できます。その聖書の特徴は、言葉として残されながら、決して書き換えられることなくそのまま残っていることです。歴史の風雪に耐えながら、決して変わることのない聖書という巨人の肩の上に自分が乗っていると考えると、また安心感も得られます。だからパウロはテモテを通して私たちにこう諭しています。「愛する者よ、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それを誰から学んだかを知っており、また自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます」(Ⅱテモテ3:14~15)

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

トップページ | 全ニュース