「信じる人は、主の愛のうちに、主と共に生きる」(知恵の書3:9)
以前ある信者さんから電話があり、教会の近くに住んでいる友人の未信者さんに子どもがいるが、重い病気なので教会の神父に祈ってほしいということでした。早速翌日訪問しましたが、その子は小児ガンで全身が侵されて、目も見えなくなっており、私の目にも長くはないように思えました。その子の名前は圭司(よしつぐ)と言いました。1年前にガンが発覚して以来、母親は病室から片時も離れることなく、付きっきりで看病していたのでした。その母親は信者ではありませんが、マリア様が好きらしいということで、聖母マリアの取り次ぎを求めて祈り、持参したルルドの水をこの子の額に注ぎました。
最後に訪問した日、その日は金曜日でしたが、ベッドの上に身を横たえているこの幼い子の手を取り、私はマリア様にこのように声に出して祈りました。『マリア様、あなたも昔こんな幼い子どもかかえて苦労した日があったでしょう。だから、あなたはこの母親の気持ちが誰よりも分かるでしょう。だからお願いです。何とかこの子を救ってあげてくださいよ』そうして、圭司の額にいつものようにルルドの水を注ぎました。その時、ふと教会の鐘の話になりました。母親は時々看護師さんと、いい鐘の音が聞こえてくるね、などと話していたようですが、この鐘が、私がいる教会の鐘の音だとは知らなかったようでした。私は病室の窓から小さく見える教会の塔を指しながら、あそこから聞こえてくるのですよと教え、明日鐘が鳴る時には圭司のためにお祈りしますと約束して帰りました。
翌日土曜日の夕方6時、教会の鐘が鳴ったので、約束通り圭司のために手元にあった祈りをささげました。
『神の御母聖母マリアよ 幼子の心を保たせてください
泉のように清く澄みとおった心 寂しさにもくじけぬ心
惜しげもなく自分を与えてほほえむ心 同情に満ちたやさしい心
憎むことなく思いやりのある心 誠実でひろやかな心
愛を惜しまず同情を求めない心 柔和にして謙遜な心
御子イエスの光栄のために全てを快くゆずる心
忘恩冷淡にも気落ちせず、おおらかで強い心
イエスの愛に燃え、その愛に渇く心
永遠の天国を仰ぎ慕う心を 御母よ、私に与えてください』(グランメゾン師作)
その2時間後電話があって、圭司は午後6時頃、眠るように息を引き取ったとの知らせを受けました。午後6時といえば、教会の鐘の音とともに私が圭司のために聖母に祈っていた時でした。圭司は鐘の音とともに天に昇ったのです。その時私は前日の金曜日、圭司の手を取ってマリア様に語った言葉を思い出しました。あの言葉をマリア様はどのように受け止めてくれたのでしょうか。きっとマリア様ご自身も、幼い子どもをかかえたことのある母親として、この子にこれ以上苦しんでほしくない。この子は、この子なりに4年の生涯を充分全うした。この子が天に昇った後、再びこの子の花を咲かせてあげることを約束して、マリア様はこの罪なき子を天国に連れて行ったのです。
その後しばらく母親にとって寂しい日が続き、夢の中に圭司がよく現れていたそうです。ある日、夢に現れた圭司が誰かと手をつないでいるのです。その手をつないでいる相手が誰かは分かりません。男であるのか女であるのかも分かりません。やがて『さあ、行こう』という声が聞こえ、圭司は誰か分からないその人と手をつないで母親から離れて行きました。それ以来圭司が夢に現れることはなくなったそうです。圭司と手をつないでいたのはいったい誰だったのでしょうか。マリア様だったのでしょうか。しかし、圭司が夢を通して母親に言いたかったのは『ママ、いつまでも泣いたらだめだよ。ぼく、神様のところに行くんだから』ということだったのでしょう。その後、両親と圭司の兄の3人家族はそろって教会で洗礼を受けました。
「信じる人は、主の愛のうちに、主と共に生きる」
(寄稿 赤波江 豊 神父)