11月23日 王であるキリスト
黙想のヒント(第279話)

「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)

 イエスによって楽園を約束された、伝説上ディスマスと呼ばれるこの犯罪人はラッキーな人です。罪深い生活を送ってきましたが、生涯の最後に回心し、楽園つまり天国を約束されました。教会はローマ教皇ではなく、直接イエスによって天国を宣言されたこのディスマスを聖人の位に挙げています。しかし今日の福音には、伝説上ゲスタスと呼ばれるもう一人の犯罪人がいます。ディスマスは死ぬ前に回心して天国に行った。それではゲスタスは死ぬ前にイエスをののしったので地獄に行ったのでしょうか。福音書はそれについて何も述べていませんし、そのように想像する必要もありません。

 私はディスマスとゲスタスは二人の人物というより、同じ人間の二つの側面を表していると思うのです。長い人生山あり谷あり、順調なときがあれば逆境のときもあり、嬉々として生きる日々があれば、落ち込んで神を呪う日々もあります。人生はこの繰り返し、つまりディスマスとゲスタスの繰り返しです。しかし「逆境は最大の教師である」(イギリスの首相ディズレーリ)人は成功からではなく、逆境や失敗つまりゲスタスからこそ大事なことを学びます。「その人がどれだけの人かは、人生に日があたっていないときに、どのように過ごしているかではかれる」(幕末明治の政治家勝海舟)「人生に日があたっていないとき」つまり私たちがゲスタスの状態にあるときをいかに生きるかが大事なのです。

 結局人生の苦しみの多くは、人と自分を比べることから生まれます。「人と比較して劣っているといっても、けっして恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分を比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべき事である」(松下幸之助)。比較すべきは自分自身であり、昨日の自分と比べて今日の自分が1ミリでも進んでいればよりディスマスに近づくのです。なぜなら「神は私たちに成功を望んでいない、チャレンジを望んでいるのです」(マザーテレサ)

 そのチャレンジとは「恐れるよりも望もう、愚痴るよりも息を吸おう、憎むより語ろう。そうすれば、全てがうまくいく」(スウェーデンの諺)。つまり、不安になったら楽しいことを考えよう。不平を言いたくなったら深呼吸して悪い言葉を言わないようにしよう。いやな人だと思う前に、笑顔でその人に語りかけよう。そうすれば、あらゆる困難を希望に変えることができます。このようなチャレンジを繰り返しながら、私たちも最後にはディスマスとして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(23:43)と語りかけましょう。

 このディスマスの「イエスよ」という語りかけは、先生や偉い人への語りかけではなく、「友」としての語りかけであり、福音書の中で唯一ディスマスだけが使った語りかけなのです。私たちもこれから出会う全ての人の中にイエスを見出し、彼らにディスマスのように友として語りかけましょう。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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