12月28日 聖家族
黙想のヒント(第284話)

「子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい」(マタイ2:13)

 救い主が生まれた時、それを妬んだヘロデはその子を殺そうと策略していました。しかし、主の天使が夢でヨセフに現れ、幼子と母親を連れてエジプトに逃げるよう伝え、一家は難を免れました(同2:13~15)。しかし、主の降誕には光と影がありました。福音書が伝えるところによると、「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(同2:16)このイエスの身代わりとなって殺された男の子たちを、教会は「幼子殉教者」として毎年12月28日に祝っています。幼子たちに殉教するつもりはなかったでしょう。しかし教会は、イエスのために身代わりとなったこの幼子たちに殉教の意味を与えたのです。

 ところで、福音書は伝えていませんが、マリアとヨセフはこの重大な事実、即ち幼子イエスのために、多くの罪もない子供たちが命を失ったことを、知らなかったはずはありません。自分の子どもだけが助かって喜ぶ親だったら、本当の親ではありません。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」(ルカ2:40)その陰でマリアは、イエスの身代わりとなって殺された子供たちのことを思い、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」(ルカ2:35)と伝えたシメオン老人の言葉を思い出していたことでしょう。

 そして、ついにそのことをイエスに伝えなければならない日が来ました。イエスがもの心ついた頃、ヨセフとマリアは「お前が生まれたとき、大変なことがあったのだよ。ベツレヘム周辺のたくさんの二歳以下の男の子たちが、お前のために殺されたのだよ」と語ったことでしょう。これを聞いた少年イエスの胸の内はどうだったでしょうか。「僕のためにたくさんの罪もない男の子たちが殺された!」きっと胸が張り裂ける思いだったことでしょう。これを知った少年イエスは、もはや自分は普通の生き方はできない、自分のために罪もない子供たちが命を献げてくれたのなら、今度は自分が多くの人を罪から解放するために、自分自身が命を献げなければならない。少年イエスは成長するにつれて、このような思いが心の中で築かれていったことでしょう。やがてイエスのこの思いが宣教へとつながっていったと私は想像しています。

 イエスは宣教活動の間、幼子を祝福し(マタイ19:13~15、マルコ10:13~16、ルカ18:15~17)心を入れ替えて子どものようになるよう諭された(マタイ18:1~5)ことは、単に子どもたちは可愛いとか、罪がないという理由だけではなく、自分の誕生のとき、多くの子供たちが、自分のために命を献げてくれたことにもよるのでしょう。

 やがて受難を前にして、イエスがオリーブ山で苦しみ悶えながら祈っていると「天使が天から現れて、イエスを力づけた」(ルカ22:43)この天使とは、イエスのために命を献げた幼子たちの霊だったのかも知れません。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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