「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(マタイ2:11)
アメリカの作家O・ヘンリーの有名な短編小説に「賢者の贈り物」があります。これは、東方の博士たちが幼子イエスに贈り物を献げた話を下敷きに書かれた小説です。
とても深く愛し合う若い夫婦ジムとデラがいました。しかし二人の生活は貧しく、ジムには20ドルの月収しかありません。クリスマスが近づいているのに、手元には1ドル87セントしかない。このお金でどうやって、お互いクリスマスのプレゼントができるのか、と二人は思案します。やがて二人は、サプライズでプレゼントを贈ること密かに計画しました。二人が持っている財産といえば、ジムの懐中時計と、デラの腰まで届く美しい髪でした。ジムはデラの美しい髪を整える鼈甲(べっこう)の櫛を買うため、懐中時計を売ってしまいました。一方デラは、ジムの懐中時計につけるプラチナの鎖を買うため、自分の大事な宝である髪をバッサリと切って売ってしまいました。
さてクリスマス当日、プレゼント交換をしようとした二人は愕然としてしまいます。ジムは、デラのために鼈甲の櫛を買ったが、デラの髪はもうありません。デラは、ジムの懐中時計につけるプラチナの鎖を買ったが、懐中時計はもうありません。一見して行き違いから愚かに見える行為ですが、二人はお互いのため自分の一番大事なもの、つまり目に見える懐中時計や髪を通して、目に見えない最高の愛を差し出したのです。プラチナの鎖や鼈甲の櫛がすぐに役に立つかどうかは、問題ではありません。「賢明な人は、愛する人からの贈り物より、贈り物をくれる人の愛を重んじる」(中世の神秘思想家トマス・ア・ケンピス)ジムとデラは本当の賢者でした。
東方の博士たちは、幼子に黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。黄金はいつの時代でも高価なもの、乳香は神殿での礼拝に使うもので、この二つは贈り物として理解できますが、没薬は人が亡くなったとき遺骸に塗るもので、幼子への贈り物としてはふさわしくない、役に立たないように思えます。シンボル的に黄金は神の前で最も尊いもの、即ち愛。乳香は礼拝で使われるもの、即ち祈り。それでは没薬は何でしょうか。それは一見して役に立たないように思えるもの、即ち日々の重荷と十字架でしょう。私たちが神に献げることができるのは愛と祈り、そして日々の重荷と十字架です。
「すぐに役立つことは、世の中に出て、すぐに役立たなくなる。すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ」(元慶応義塾長小泉信三)これは学問でも、仕事でも、そして信仰においても言えます。実用性、即戦力が重んじられる世の中で「なぜ、こんな役に立たないことをしなければならないのか」と問いながら続けていくうちに、自ずと答えは見えてきます。今年も没薬を携えて1年の旅を始めましょう。役に立たないと思っていたことが、実は一番役立つことに気づきますから。
(寄稿 赤波江 豊 神父)