「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」(ヨハネ1:29)
「世の罪を取り除く」というと、何か悪性腫瘍の除去や、悪いものの根絶をイメージされる方も多いでしょう。しかし人間には良い心と悪い心の二つがあるのではなく、心はいつも一つです。ですから、自分の中から悪い心だけを取ろうとすると、良い心も一緒に取ってしまうことになりかねません。イエスの教えに破壊や撲滅の思想はありません。イエスの教えは常に創造、変革、再生です。ですから心の源泉の流れを少し変えるだけ、つまり、ものの見方を少し変えるだけで悪は善に、憎しみは愛に変容されるのです。
人は物語が好きです。なぜなら、人は物語の中に、自分の人生を見るからです。世の中に童話は無数にあります。特に子ども心に印象を残す童話というものは、やはりその人の人生全体を通して、深い意味をもつことが多いのです。イソップ童話の中に「北風と太陽」があります。ある日北風と太陽が力比べをしようということになりました。そこで、いかに旅人の外套を脱がせることができるかで、力を競うことになりました。北風は風の力で外套を脱がせようとするのですが、北風が吹けば吹くほど、旅人は寒さから身を守ろうとして、外套を手放しません。今度は太陽が旅人を温め続けると、旅人はついに暑くなって外套を脱いでしまいました。人の心を変えるのは、北風のような強引さではなく、太陽に象徴される、愛、喜び、希望なのだということをこの童話は伝えています。
同じ考えは教会の霊性にも深く根付いています。初代教会の砂漠の修道者たちは、苦行に励む弟子たちに、悪魔と直接対決するなと教えました。悪魔と直接対決するには高度な霊性が必要だ。しかし一般人にはそのような高度な霊性はないので、苦行によって一時的に悪魔に打ち勝ったと思っても、間もなくもっと強い誘惑が襲って、結局悪魔に負けてしまう。そうではなく、光である神を見続けよ。そうすれば、氷が解けるように、徐々にではあるが確実に悪魔に打ち勝つことができる。「北風と太陽」のように、太陽であるイエスは、罪との直接対決ではなく愛、喜び、希望によって「世の罪を取り除く」のです。
また罪との戦いで切り離せない「赦し」は、イエスの宣教の最も大きなテーマでした。古代中国においても『怨みに報いるに徳を以ってなす』という故事があり、論語や老子の教えにも見られます。つまり、怨みのある者に対していつまでも根に持つのではなく、博愛の精神で徳を施さなければならないという金言です。第二次世界大戦後、中国共産党を逃れて、蒋介石が台湾に国民党政府を樹立したとき、台湾は無政府状態でした。台湾はそれまで50年間日本の植民地で、その間日本人から虐待等を受けた台湾人も少なくなかったことでしょう。しかし蒋介石は、日本人の処遇について中国の故事を引用し『怨みをもって、怨みに報いず。それを犯した者は極刑に処す』という布告を出し、それで当時台湾にいた58万の日本人は無事日本に帰国できたのでした。台湾有事が取りざたされる今、よくこの蒋介石の言葉を思い出します。
(寄稿 赤波江 豊 神父)