「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし、思いを一つにして、固く結び合いなさい」(1コリント1:10)
マタイ福音書はイエスの宣教活動の開始と、弟子たちの招きを述べています。後にイエスは12人の使徒を選定し、彼らに特別な任務を授けます。ところで、この12人は性格も様々で、内部に衝突や対立があったことも福音書からうかがわれます。パウロ自身、バルナバと協力して宣教活動に励んでいましたが、ある日この二人は弟子の扱いのことで「意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって」(使徒言行録15:39)しまいました。言わば喧嘩別れです。上記のパウロの言葉と矛盾する行動ですが、むしろここに彼らの人間味を感じます。矛盾するものが、矛盾することなく人間の中に同居している、ここに人間理解の面白みと醍醐味があるのです。ところでパウロとバルナバは後に和解したのでしょうか。そのことについて聖書は述べていませんが、太宰治の短編小説『走れメロス』を読むと、きっとこの二人は後に和解したのだろうと想像させてくれます。
妹と二人で暮らす羊飼いメロスは、人間不信の暴君ディオニスが罪なき人々を処刑していることに激怒し、この暴君を殺すことを決意します。しかし町で剣を持っていたことで殺意が発覚し、捕らえられて死刑判決を受けます。メロスは妹を結婚させるため、王に3日間の猶予を求め、自分の代わりに親友の石工セリヌンティウスを牢につなぎ、3日目の日没までに帰らなければ、親友を死刑に処するという条件で結婚式に向かいます。暴君は、どうせメロスは帰るはずがないからと、親友を見せしめに処刑するつもりでした。妹を結婚させて、メロスは王のもとへ帰ろうとしますが、途中で洪水や山賊に遭遇し、そのために時間をとられ、やっとたどり着いたときには、まさに親友が処刑されるところでした。メロスはセリヌンティウスに「俺を殴ってくれ」と叫びます。途中で一度疲労のあまり、帰るのをやめようかと思ったからでした。つまり、一度裏切ろうとしたからでした。セリヌンティウスは刑場に鳴り響くほどメロスの右頬を強く打ちました。そして今度はセリヌンティウスがメロスに「自分を殴れ」と言うのです。なぜなら、「たった一度だけ、君が帰らないではないかと疑ったからだ」と言うのです。メロスはうなり声をあげてセリヌンティウスの頬を打ちます。その後二人はかたく抱擁し合って涙を流します。暴君ディオニスはその姿に感動し、「自分は今まで人間を信じなかったが、信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。わしもお前たちの仲間に入れてくれ」と反省します。刑場にいた民衆はそこで「王様万歳」と叫びます。そのとき、一人の少女がメロスに赤いマントを着せます。死ぬ思いでたどり着いたメロスは、何と途中で衣服が裂け、裸になっていたのでした。そしてこの物語は「勇者はひどく赤面した」という言葉で結ばれています。
パウロとバルナバ、二人とも偉大な聖人ですが、また二人は喧嘩別れも経験した。人間とは、実に面白い愛すべき存在なのです。
(寄稿 赤波江 豊 神父)