2月8日 年間第5主日
黙想のヒント(第290話)

「〈主は言われる。私の選ぶ断食とは〉飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けをおしまないこと」 (イザヤ58:7)

 聖書が述べる断食とは本来宗教行為であり、人々は大きな決断をする前、また神のみ旨を求めるときなど断食しました。イエスも御父のみ旨を求めて断食しました。しかしイエスは弟子たちに断食を命じたことはありません。断食は宗教行為である以上、神と人への愛に直結したものでなければならないからです。しかし断食は形式主義に陥りやすく、そのためイザヤは断食しながら、争いを繰り返している人々を糾弾したのです。

 エマニュエル・レヴィナスという哲学者がいました。彼はリトアニア生まれのユダヤ人で、第二次世界大戦中はドイツの捕虜収容所で4年間過ごしました。その後生き延びて帰還した後、あのユダヤ人のホロコーストを始めて知ったのでした。彼の思想の中心は「顔」です。顔と言えば、一般にその人の風貌や個性をイメージしますが、レヴィナスは顔の意味を、「私を殺してはいけない」と訴えていることに求めています。つまり人の顔を見たとき、その人が無言の内に訴えている言葉は「私を殺してはいけない」であり、これは絶対的な命令であると言うのです。

 彼は「顔の思想」で全体主義を否定しました。全体主義とは、個人の自由や社会集団の自律を認めず、個人の権利や自由を、国家全体の利害に一致するよう統制する政治体制を言います。レヴィナスは、人の顔は無限にその姿を変えながらも、我々に対して常に何かを訴え、何かを語り続けている。その永遠の語りかけが、「私を殺してはいけない」であり、その語りかけを感じたら、何か応答しなければならない。それが相手に責任を負うことだ。だから「顔こそがあらゆる言説を可能にし、開始させるという意味で、顔が語るのだ」とレヴィナスは述べています。

 なぜナチスは同じ人間であるユダヤ人を大量殺りくできたのか。それは一人一人を人間としてではなく、単なるモノとして扱ったからです。ですから戦争とは、レヴィナスが言うように一人一人の顔も見ない、語りかけに応答しない、責任もとらない状態なのです。レヴィナスはユダヤ人のホロコーストから「顔の思想」を生み出しましたが、そのホロコーストを経験したイスラエルがガザに侵攻して、多くのパレスチナ人の命を奪っているのは非常に残念なことです。パレスチナの老人や子供たちの顔が「私を殺してはいけない」と無言で叫んでいます。イザヤの預言は現在のイスラエルにこそ向けられるべきです。

 急激に成長発展するものは、急激に滅びると言われます。今はあらゆる通信手段で直接人と会わずにコミュニケーショも可能になりましたが、そのほころびも見え始めてきました。キリストとの真の出会いは、直接人と出会い、何かを訴えている、その顔を見ながら語り合うことによってのみ可能です。それは場合によったら時間も労力もかかることですが、これが最も確実な道です。 

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

トップページ | 全ニュース