3月15日 四旬節第4主日
黙想のヒント(第295話)

「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた」(ヨハネ9:1)

 イエスとこの盲人の出会いは、最初は偶然でした。しかしイエスによって光が与えられた彼は、イエスには出会うべくして出会ったと知り、最後に「『主よ、信じます』と言って、ひざまずいた」(9:38)のでした。

 以前いた教会で、私は栗田さんという全盲の女性と出会いました。彼女は20歳代の青春時代に、難病のスモン病になって下半身が不自由になり、やがて失明しました。彼女は一時期非常に落ち込みましたが、母親が立派で彼女を励まし続け、その後カトリック教会と出会い、やがて洗礼を受けました。彼女の母親の口癖は「不平不満で生きても同じ一日、感謝と喜びで生きても同じ一日。だったらどっちを選ぶの」でした。

 私もやがて彼女と出会って毎月訪問し、全盲の彼女のためいつもお互い手を取って祈り、語り合っていました。彼女はよく「確かに、この病気は辛いです。でも、もし私が元気だったら、遊んで回って神様と出会うこともなかったでしょう。私はこのような病気だからこそ、毎日神様にお祈りができるのです。ですから私は、この病気を神様に感謝しています」と語っていました。彼女は一人で暮らしていましたが、いつも朗らかで、その明るさから多くの友人に恵まれていました。毎日友人たちの訪問と助けを受け、彼女もまた自分が受けたお恵み以上に、友人たちに多くの励ましと慰めを与えていたのでした。私には、彼女が毎日幸せを満喫しているように見えました。彼女は60歳の時、全盲で寝たきりでありながらも、その生涯を感謝と喜びの内に静かに神に返されました。

 1931年のアメリカ映画で、チャールズ・チャップリン主演の「街の灯」があります。みすぼらしい男チャーリーと、貧しい盲目の花売り娘との出会いを描いた、私にとっても非常に忘れがたい映画です。男はその少女を助けるため孤軍奮闘します。そのおかげで彼女は手術で目を回復し、花屋を開いて幸せに暮らしています。一方男は彼女を助ける際、泥棒と間違えられて刑務所に入ってしまいました。彼女は、盲目時代に自分を助けてくれたのは親切な金持ちの紳士だと思い、花屋を訪れる金持ちの中に毎日恩人の姿を探します。

 一方刑務所を出て、再びみすぼらしい生活に戻った男はある日、花屋の前で偶然彼女を見つけ、元気になった彼女をじっと見つめています。自分を助けてくれたのは金持ちの紳士だと思っていた彼女は、みすぼらしい男を見て店員と笑い、気にもかけません。しかし、いつまでも自分を見ているので哀れに思い、店を出て一輪の花と小銭を渡そうと男の手を取った途端、かつて自分を助けてくれた男の手の感触を思い出します。そして最後に「あなただったのですか」と言って映画は幕を閉じます。

 私と栗田さんとの出会いを思い出すとき、いつもこの映画と重なるのです。私たちの出会いも最初は偶然でした。しかし共に語り合い、祈って素晴らしい思い出を残してくれた彼女とは、出会うべくして出会ったと『主よ、信じます』(9:38)

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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