「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します」(ヨハネ11:41)
イエスは、一度死んだラザロをよみがえらせました。そのとき、イエスは天の御父に感謝の祈りをささげましたが、それはラザロがよみがえった後ではなく、まだラザロが死んだ状態のときでした。まだその状態、即ち願いが実現する以前に、イエスは既に願いがかなったことを前提に感謝の祈りをささげたのです。このことはパウロも「何ごとにつけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピの教会への手紙4:6)と述べています。
以前の日本では見られませんでしたが、最近定着しているいい習慣があります。それは公衆トイレで見られる張り紙「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」という言葉です。利用者が使う前に、すでに感謝することできれいに使うことを促すのです。このことは、公衆トイレだけではなく、相手に何かを期待やお願いをするとき、まず相手に日頃の感謝を伝えることで、人間関係を円滑にすることができるのです。まさに感謝は人間関係の潤滑油です。
相手に感謝する姿勢は、自分は恵まれている、愛されているというポジティブな思いを育みます。幸せそうな人は共通して、自分は恵まれていると言います。そのような人は、決してマイナス感情を抱かないのではなく、自分の心をこまめにケアしながら、マイナス感情をプラス感情にする努力をしています。人間の脳はどんなコンピューターよりも高性能です。脳に「自分は恵まれている」というソフトを組み込み、目標を設定すれば、「こうすればできる」、「ああすればできる」という「できるイメージ」ばかりを検索します。反対に「自分は恵まれていない」というソフトを組み込むと、目標を設定しても過去の経験から「やっぱりできない」「どうせ自分には無理」というトラウマばかりを検索してしまいます。「どうせ自分には無理」ではなく、「だったら、こうすればできる」への切り替えが必要で、そのためには、常に「自分は恵まれている」と信じることが大事です。
しかし中には、今大変な状況にある自分に、どうして「自分は恵まれている」などと言えるのか、と反論する人もいるかも知れません。しかし恵まれていない原因は、その状況にあるのではなく、その状況についての自分のとらえ方です。状況はいつも中立です。では、幸せはどこにあるのか。幸せを自分の外に探しても見つかりません。探すというのは幸せのアンチテーゼです。幸せは今の自分の状況と向き合い、受け入れ、感謝するという気づきにより、すぐに見つけることができます。今を賢明に生きなければ、一生賢明に生きることはできません。今人生を楽しまなければ、一生人生を楽しむことはできません。
「父よ、私の願いを聞き入れてくださって感謝します」いつもこの言葉を繰り返してみてください。きっといいことがありますから。
(寄稿 赤波江 豊 神父)