受付に置かれた小カードに亡くなられたゆかりの方々のお名前を書いて、奉納の時に祈りの花束として捧げました。
11月2日「死者の日」の後の主日である11月6日、住吉教会では、ブラッドリー神父司式で「追悼祈念ミサ」が捧げられました。
ブラッドリー神父は「復活への希望」ということをテーマに話されました。 「カトリックの葬儀の中で司祭は『私たちはキリストの言葉に希望と慰めをおき、互いに励まし合い、約束された復活の日、 キリストのうちに一つに集まることを心から待ち望みます』と祈ります。 この祈りは、地上に残った共同体の信仰告白になっています。私達がこう祈るのは“復活への希望”を信じているからです。 ですから、カトリックの葬儀は悲しみや別れの場ではありません。人は死んでも生きると言う希望のうちに生きることが大事だと思います」 と話されました。 また、「復活の希望」について、私達が黙想する助けにと「お墓への思い」についての文章を引用されました。(下記引用文)
最後にルカによる福音(ルカ24.5-6) 「なぜ生きている方を死者の中に捜すのですか。ここにはおられない。復活なさったのだ」という言葉で締めくくられ、 皆しばし沈黙のうちに黙想しました
〜「日本人の生活習慣とキリスト教」勝本正實 著 いのちのことば社〜より引用
・聖書を開いて見る時、イエスキリストの復活の出来事が、死生観だけではなく墓地についても決定的な影響を与えています。
・墓地は遺体を葬るという場所にとどまらず、復活に至る希望に支えられて、復活を待つ休憩所であり、待機の宿なのです。
・墓に立つ十字架は、死を打ち破った復活を象徴するものです。目指すところは神の国です。その希望はここから始まりました。
・墓地を訪れる時に、思い出やなつかしさの心で行くのではなく、復活の希望を持って「神の国でまた会える」との安らぎがあるのは何とすばらしいことでしょう。
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