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「高山右近の生涯」

世界で一番多くマザーテレサの絵を描き又200人以上の殉教者の絵を描かれた村田佳代子氏(鎌倉雪の下教会)が5年の月日をかけ描かれた10枚の絵のレプリカ(本物は大阪カテドラルに設置)と共にミサ後「右近と共に歩む会」の方々の話を伺いました。

1. 高槻城主の頃・・父と共に領民の為に慈しみの治世を行い領民の70%以上がキリシタンとなる。荒木村重事件は第1の試練

2. 信長が作った安土城下のセミナリオで神父の手助け。住吉教会のパウロ三木は第1期生22人の一人。

3. 利休七哲・・右近は七哲の一人。質素と慎み、真の心の平和は謙遜な心にあり茶室は右近にとって祈りの場、対話の場であった。茶道具とミサ備品には共通点が見られる。

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4. 小豆島へ・・秀吉下、利休切腹後、オルガンテイノ神父と共に小西行長の所領小豆島に。小豆島はキリスト教禁教下でも一人の処刑者も密告者も出なかった。

5. 金沢での26年間・・金沢にはキリシタンはほとんどいなかったが七尾、羽咋に教会を建て能登200人、金沢教会は1000人の信徒となる。

6. 遠島・・家康のキリスト教禁教令により400人長崎港よりすし詰めの2隻の船でマニラとマカオに。この中にはペトロ・岐部もいた。劣悪な船旅で右近は健康をむしばまれマニラに着いた時は重い熱病で病の床に。共に来てくれた妻ユスタ、娘ルチアに深く感謝し1615年2月3日帰天 63才  10日間に亘る盛大な葬儀。亡骸はフィリピン総督邸に移され武士の正装に直された。サンタ・アンナ聖堂の祭壇の近くに埋葬された。

☆ お勧めの本・・ ☆ 古巣馨神父「ユスト高山右近 今降りていく人へ」

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