住吉教会で活躍された神父様方を紹介します。
池田 雄一神父
1941 住吉教会で受洗
1971.4~1972.3 住吉教会助任
浜崎 正博神父
1944.7.8 長崎市飽浦に生まれる
1973.4.8 叙階
1973.4~1975.3 住吉教会助任
1981.8.13 帰天
(大阪ヘルパーズ浜崎神父追悼文集より)
※ 私たちの知っている彼は、生を大切にする人であり、死という言葉を重ねるにはあまりにも若すぎた。(m.t)
※、浜崎神父は、園田教会の主任司祭として夏のキャンプ引率中に京都網野の海にて不慮の死を遂げられた。
スタニスラオ稲田 豊神父
1925.11.8 神戸に生まれる
1952.12 叙階
1975.8~1985.4 住吉教会主任(13代)
2007.9.11 帰天
第2次大戦中、灯火管制がありました。光が外に洩れないように窓に暗幕をはりました。世の中闇となりました。終戦となり、夜も光を取り戻しました。キリストの光を体験する為には、心をひらくことの素晴らしさを知ることです。隣人に心を閉ざし世の悪に同調し他人の非難にあけくれる時、悪魔の誘惑があります。弱いこの世に真の光をもたらす使命は私たち一人ひとりにあります。御復活祭は喜びの日です。それは主ご自身が私たちの心に「まことの光」を点して下さり、ラザロの墓を開かれたように、私たちの心をひらいて下さるからです。私たちは主の復活の証人であり、日々そのあかし人(殉教者)にならねばなりません。
(1982.4 「すみよし」 復活祭号 稲田神父説苑より)
松本 武三神父
1943.3 姫路に生まれる
1974.11 叙階
1985.4~1988.3 住吉教会主任(14代)
2017.10.24 帰天
「医者が要るのは、健康な人ではなく、病人である」
当然のことですが、とても有難いことばです。お医者さんが、自分のことをよく知り、いざという時に、飛んできて下さるならば、なおのこと安心です。同様に教会は、神の助けを願う苦しむ人たちのものです。救いを求める人が慰めを見出し喜びのうちに感謝の祈りが溢れるように互いに祈りあって痛みを分かち合って歩みたいですね。(1988.4 「すみよし」 復活祭号 松本神父説苑より)
松浦 信行神父
1954.12.24 京都に生まれる
1984.3.11 叙階
1984.4~1985.4 住吉教会助任
私は、キリストのゆるしを知る喜びを伝えるために、御受難会からつかわされました。主イエズスの十字架の苦しみに満ちた姿は人間の暗い面を描き出しているのではありません。全能の神が私たち人間に心をひらき、人間の立場に立とうとされる神の対話のしるしです。ゆたかな神の愛のしるしが、只今わたし達の崇敬した十字架の姿にあらわされています。
(1985.4 聖週間「聖金曜日」 松浦神父の説教より)
石井 望神父
1987.4~1989.4 住吉教会助任
ホビノ・サン・ミゲル神父
1988.3~1989.4 住吉教会主任(15代)
住吉教会が私を迎えてくださってから1年になります。今までの生涯の大半を教育の場で過ごしたあとのこの1年の小教区の生活は、私にとって司祭生活の最も楽しい経験の一つでありました。いつも私たちの運命を支配しておられる神の御手が。今日まで私を導いてくださった事は間違いありません。この住吉教会の信仰につながる出会いを私のために用意してくださった方は主なる神でありました。すべての人の必要なものを気に留めてくださる主がこれ以上の時間を持たずに私をここにお連れ下さったことは、まさに御心でありましょう。
(1989 「すみよし」 復活祭号 サン・ミゲル神父のあいさつより)
矢野 吉久神父
1989.4~1991.3 住吉教会主任(16代)
1997.4~2002.3 住吉教会主任(19代)
コーナン神父様の在任中の一年余、日本のカトリック界は、第2バチカン公会議の影響を受けて大きく動き、新時代になった形態をつくる為に、各方面に色々の変革が行われました。神父様は、新しい構想をミサにも取り入れられ、典礼を私たちの身近なものにする為の努力を惜しまれませんでした。フランスの一青年として軍務に就かれ、北アフリカのアルジェリア戦争に従軍され、熱い砂漠の戦場で毎日繰り返される、生か死かの極限に立たされて、人間のむき出しの感情を見たことが司祭職を選ぶ直接の動機となったそうです。
(1971.4 「すみよし」 復活祭号より)
生藤 達男神父
1991.4~1995.3 住吉教会主任(17代)
2022.7.11 帰天
その昔小学生の私には神父様やシスターは雲の上の方、偉い方ちょっと恐い方・・・と云った存在でした。その印象をずっと引きずって現在に至った私は3年前雲の上から降りてきてくださった人間、生藤神父様にお会いする事になりました。
神父様はいつでも何かお声を掛けてくださいました。「おはよう」「ご苦労様」眼鏡の奥の優しい笑顔と、何気ない神父様の一言で私は元気づけられ、勇気を与えられました。御ミサの朗読の後、あの独特のアクセントで「神の言葉によって私たちが清められますように」と言って始まるお説教も聴けなくなるのも本当に寂しいことです。これからもずっとお元気で、人間神父様のお働きをお祈りしています。(1995 「すみよし」 復活祭号より)
諏訪 栄治郎神父
1995.4~1997.3 住吉教会主任(18代)
2002.5~2005.3 担当司祭
諏訪神父様の第一印象は、一風変わった神父様でした。震災の時、段ボール箱ごとおいしいチョコレートをもってこられた時そう思いました。あの時から2年がたった今。ありきたりの言葉ですが「時が経つのは早いな」と思います。
この2年間本当に色々な事を学び感じる事が出来て嬉しかったです。
(1997 「すみよし」 復活祭号より)
マリオ・コリーナ神父
1954.12.8 フィリピンに生まれる
1989.3.20来日
2002.5~2004.4 担当司祭
最初日本に来た時、予定では一年で次にアメリカへ行くことになっていたので日本語が十分に出来ませんでした。それで住吉にくることになった時とても心配だったのはミサの中での言葉です。私は発音が下手なのでミサの時に皆の顔を見ていると、分かってもらえたかそうで無いかがよく分かります。でも、もう神様に任せることにしました。ミサは秘蹟で私たちの宝物です。でも、司祭が足りなくなって今迄どおり出来なくなってきたのだから、よく祈って、一人ひとりが努力をしてお互いの経験を分かち合ってこれからの大切な若い力を育てましょう。
(2002 「すみよし」 被昇天号より)
最頼 厳流神父
2002.4~2002.5 共同司牧担当司祭
パウロ・セコ神父
1966 スペイン生まれ
2000.2 来日
2003.1~2007.4 共同司牧担当司祭
在任4年3ヶ月の間、建設委員や評議会、聖堂や信徒館、幼稚園建設中の不自由な中に常に信徒と一体となるように心を配って下さり、旧聖堂のお別れミサから毎週幼稚園室を借りて準備した仮聖堂、そして献堂式に至るまでとその後現在まで本当に大きな変化の中で神父様はくたくたになって働き尽くして下さいました。我々信徒も大変でしたが、明るくユーモアのある神父様の導きにより楽しく過ごす事ができました。本当にご指導有難うございました。
(2007 「すみよし」 復活祭号より)
シリロ・オラデレ (Cirilo Orradre)神父
1937.2.9 スペイン生まれ
1962.6.28 司祭叙階
1968.1.25来日
2004.4 - 2012.4 共同司牧担当司祭
私が初めて日本に来たのは32才でした。クリスマスの夜、行列もあり、ミサもありました。でも、楽しい夕食の時間はありませんでした。その夜、私は日本にいるのが、一番淋しかった!40年たった今でも何かもの足りないと言う気持ちは変わっていません。しかし、毎年のその夜とそのシーズンは馬小屋の前でじっと祈りながら、牛や馬のように沈黙し、観想するのは大好きです。神秘的な中に感謝しなければならない事がいっぱいあるからです。
(2007「すみよし」クリスマス号より)
ヨセフ 赤波江 豊神父
1989.3.21 司祭叙階
2007.7 - 2014.5, 2020.4-2023.4 共同司牧担当司祭
何事も笑顔で乗り切りましょう。 子供のようにいつもほほえんで。 いつでも希望をもって。
神が必ずよくはからって下さるとの確信を持って。 決して希望を失わないこと。 これこそキリスト者の特徴であり強みです。
(月報「風」2014年5月掲載 贈る言葉 より)
ロザイロ・ブラッドリー (Rozairo Bradly)神父
1989.3.21 司祭叙階
2014.5 - 2017.4 共同司牧担当司祭
地域社会の中に積極的に入ってその中の人々と関わること。それによって困っている人、心の病を持っている人と出会い、その人の苦しみや悲しみを少しでも分かち合うことがミッションだと思います。(2015年7月月報「風」より)
ジョン・オマリー (John O'Malley)神父
1963.3.18 司祭叙階
2013 - 2017.5 共同司牧協力司祭
2021.1.8 帰天
私たちキリスト者は失望、挫折と失敗を乗り越えられるようにと頂いた贈り物である信仰をとおして、希望と喜びを得ています。私たちの心の中身毎日キリストが誕生されるよう、皆がイエス・キリストの信仰の喜びを知るようにしましょう。(2013「すみよし」クリスマス号より)
アウグスチヌス 傘木 澄男神父
1963.5.25 司祭叙階
2014 - 2018 共同司牧協力司祭
2018.8.8 帰天
復活の信仰とは「愛は死よりも強い」という確信です。
「人生は決して空しい無意味なものではない」という悟りです。
「愛のわざは最小のものも無駄になることはない」という信頼です。
ルスタラン・バルテレミ (Loustalan Barthélémy)神父
1985年(S60)11月 フランスのボルドー生まれ
2015年12月21日 ボルドーで司祭叙階
2016年9月31日 来日
2019年4月-12月 神戸中央教会、住吉教会
ミシェル・コーナン(Michell Connan)神父
2018年4月-2021年8月 神戸中央教会、住吉教会
人を心から助けてあげるのは、自分が神さまの愛のうちに生きているものだから、その愛を分かちあうということ。福音宣教はまず自分の心から始まるのです。
エマニュエル・ポポン(Emmanuel Popon)神父
2018年4月-2022年4月 神戸中央教会、住吉教会
人を心から助けてあげるのは、自分が神さまの愛のうちに生きているものだから、その愛を分かちあうということ。福音宣教はまず自分の心から始まるのです。
ジェロム(Jerome )神父
2022年5月-2023年3月 神戸中央教会、住吉教会
カトリック住吉教会の兄弟姉妹の皆様、 私はジェロム パダモサルトノです。1962年6月3日に生まれました。インドネシア、フローレス島の出身です。ジェロムまたはジェロと呼んでいただければ大変嬉しいです。ギリシア語の先生によると、ジェロムという名前は神様のお寺を意味するそうです。
私は、カトリック淳心会の一人のメンバーです。1996年8月11日に司祭叙階式を受けました。1993年蜂蜜の日に日本に参りました。FMラジオによると、蜂蜜は八月三日を表します。
これから、主イエス・キリストのしもべとして喜びと希望を持ち、楽観的に皆様と共に前に前に進み歩みたいと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。